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佐々部くんに捧ぐ(10/22追記)

スキャナー全国公開が終わりまして、

終了日を勘違いしていた私のあともう一度観に行ってスクリーンの佐々部くんにさよならをしなければという計画はパリンと砕けてしまい、

後悔を残しつつDVDの発売が待ち遠しい日々へ突入しております。

佐々部くんに会いたい!慈愛の眼差しを浴びせたい!

(これからお楽しみの方はたっぷり楽しんでいらしてくださいね!ここはネタバレのブログです!)

 

 

それにしても、衝撃的な映画でした。

予告段階だとか、宣伝の仕方、煽り方では割合メジャー感のある(嫌な風に言うと「よくある」)内容なのかと思っていました。

バディもの、主人公が変人、特殊能力による独自捜査、ほのかな恋模様、「予測不可能な衝撃の結末」…とてもよくある要素が並んでいたし、煽り方もそれに沿ったものだったし、インタビューも萬斎さんの意外な一面と特殊能力に焦点を当てたものがとても多かったので。

映画を観てようやっと、そりゃ言えんわな!!!と激しく納得しました。

逆に、宣伝難しかったでしょうに!!!と労いの言葉をお掛けしたいくらい。

それほどに、観れば衝撃を受ける映画だったと思います。

繊細で、重く苦しく、冷たさと温かさと怒りが混じり合い、「感動」「泣ける」「笑える」で済ませられない、気持ちも体力も使う映画だったなあと思います。

 

一回目、

ミステリーなので一応私も犯人の目星を付けながら観ていました。わりあいメイン寄りのキャストに据えられているからもしや佐々部くんが黒幕ということも有り得るかもね!と、思ってはみていましたが、何の根拠もないアレなので件のシーンではまさか、まさか、まさか…!と心臓が縮み上がる思いでした。

もし佐々部くんが犯人であることを勘づくことができるとしたら「これは誰の思念だ?」くらいでようやっと、じゃないでしょうか…?

胸に手を当て、ハンカチが取り出され、汗を拭う佐々部くんの姿が仙石の頭を過って…

それに合わせて畳み掛けるように心拍数が上がり眼球が前のめりになりました。衝撃度ランキングつけてみるとしたらあそこが第一位!私調べ!

それからずっとドキドキが止まらず、破滅の道しか残されていないであろう佐々部くんのそれでも生きる未来に向けて祈りながら、見つめていました。彼の狂気を焼き付けるようにガッと目を見開いてね!それなのに目が乾かなかったのは高まりで潤んでいたからだよ!どうでもいいね!

それでも、引き金を引いた瞬間には頭が真っ白になり、そのおかげで命尽きる間際微笑みを浮かべた佐々部くんを心穏やかに見送ることが、できたんですけど…

その後、を描いているシーン、やっぱり、「佐々部くんのいない世界」が当たり前のように回っていることへの虚しさ、やるせなさ、が押し寄せてきて。前にもこんな感覚があったなあ、と思い返せば大奥の鶴岡様でした。鶴岡様が自害してから映画が終わるまでずっと、ずうっと悲しかったなあ。比べるものでもないけれど、でも、幸福な思念を脳裏に映しながら息を引き取った佐々部くんだったから、そして仙石さんが「人間は美しいねえ」と呟いた、そのことで鶴岡様の時より、報われた(観ている方の感情が!)感があったなあと思います。

一回目はそういう、起こったできごとと結末と心のぐちゃぐちゃを受け止めるだけで精いっぱいでした。

それで二回目、ストーリーを追いながら回収するための伏線を集めよう!の心持ちで見ましたがやっぱり押し寄せる佐々部くんの悲しみでいっぱいいっぱいになってしまい、見終わってからちいさい疑問をいくつか挙げて振り返って見て、三回目でようやっと自分なりにその答えらしきものを見つけられた…のかなあ…という流れをもって感想混じりの自分的謎解きを書きたいと思います。

 

 

悟はなぜエリカの姿で犯行を重ねたのか?

4人の子どもたちにエリカのことを思い出させるため、という部分が大きいと思うけれど、エリカの人格を自分の中に作るという部分もまたかなりの容積をしめているのではないか…?と。

これはエリカの復讐なのだ、と自分をマインドコントロールし人格の切り替えを行う儀式的な要素であり、もしかしたら「自分が殺人を行っている」という事実を直視しないように無意識の意識が働いていたのかもしれない。

エリカの姿になった悟の中には、エリカがいたのか、エリカを想う兄・悟がいたのか、と考えると、それは全て「エリカというフィルターを通した悟」に他ならない。だからいくら悟がエリカの姿になったとしてもそれはエリカではない、

…って文字に起こすと至極当たり前で周りから見ればそう見る他ない(オカルト的視点を除けば)ですけど…でも悟はそれに気付いていなかった。気付かないように意識が作用していたのかな。

純粋にあれがエリカであったとするなら、あれだけ用意周到に拉致監禁と拷問を行うことは不可能で、場所や道具、小屋から逃げる手段や邪魔者を抹殺する算段まできちんと準備していたこと等そこに悟としての意識があったのは明白。一方で、雪絵を誘拐する際には「道端にしゃがみこんで待つ」というとても不確実な手段を取っていたことに対する疑問が残ります。

現実的な実行手段を考え、準備し、実行している部分は知能としての悟であり、4人の子どもたちの前で見せる狂気のような怒りは妹を殺された復讐の思いに満ちた悟、その冷静さと残虐さの合間に揺らぐ瞬間に「エリカ(としての悟)」が表出していたのか。そう思えばやはり悟自身はこれを悟とエリカ二人による復讐と理解していたことになるのか…。

 

話を戻すと、もし悟もそのこと(これはエリカを通した自分である、ということ)を自覚していたのなら、もっとシンプルに、「エリカは自分の中にまだ生きている」ことの表出、それだけなのかな…とも思います。俺だけはお前のことを想っている。お前の想いが残っていることを俺が証明する。そういう気持ちでエリカの姿になっていたのだとしたら、

(妹を殺されたこと、エリカが死ななければ自分も親から憎まれることはなかった、という主観的な憎しみが多分に影響しているとしても、)

悟もまた、思念を読み取るという行為に近いことをしていたのかなと…親に愛されなかったことと合わせて、そういう点でも仙石とリンクするのかな、と思いました。

 

また、悟にとって「エリカの姿になった自分」というのは、親に憎しみを向けられた幼い自分の象徴なのかもしれない。

エリカが死んで、エリカになろうとしたことで決定的に忌み嫌われることになった悟。その時に、もう、悟という人格の生命は止まってしまったのか。

悟にとって「自分」とは、「木戸悟」とはなんだったんだろう。なぜそんなにも親に憎まれていたのか。両親も心を病んでいた、としか考えられないほどに、愛されなかった木戸悟。エリカが生まれる前は?愛されていた?過去に愛された経験があったから、その愛された自分に戻ろうと必死でエリカの看病をしたのか。

それならば(そうでなくとも)、両親が自分をないがしろにして愛情を一心に向けるエリカに対して嫉妬、憎悪が生まれるのが当然だろうに、悟にはそれが一切見られない。

悟がエリカに向けているのは、ただただ大きな愛情。そこには自分も愛されたいという気持ちが、憎しみに変化せずそのままの形で並んでいる。それが悟の凄まじいところだなあ、と思います。驚くほどに優しく真っ直ぐな少年。親の愛を一心に目指すがゆえに、「自分」という存在が自分の中から抜け落ちてしまった少年。

だから、親戚に引き取られて以降彼の中に残っていたのはエリカの姿をした自分(=自分の中ではそれは自分ではなくエリカである)だけであって、その上に構築された自分は全く違う人格だったのかもしれません。

全く違う人格、ではあるけれど、思い込みが激しく、それなのに人を信じたり頼ったりしないという性格には、周りに縋ろうとして突き放された、真っ暗な闇に突き落とされた経験が形成したものが残っているんだろうなと思います。

 

しかし佐々部くんは本当に頭の回転が速いというか、状況判断能力も優れているし、この生い立ちさえなければ非常に優秀な人材としての人生を謳歌できていたんだろうな、と思うと…

雪絵が自害してからの大胆な行動(仙石に情報を与えてともに捜査を進め、忍が4人目ではないことを直接本人から確かめ、雪絵の遺体を山に遺棄し、亜美を誘拐・殺害しようとする一連)はもう彼にとっての終わりに向かっていたから、ここで自分が犯人だと知られる危険性なんてどうでもよかった、復讐さえ遂げられれば「その先」なんて端から彼の目には映っていなかったから、だろうし、本当にもう…幼い日のあの事件がなければ。両親から愛情を注がれていれば。悟の中でも幾度となく反芻されてきたかもしれないたらればを辿って、切なさが増幅していきます。

「事件が解決するなら、超能力でも科学でもどっちでもいい、それだけっす」

悟は警察になり、手段を得たことで復讐の炎が膨らみ心臓まで燃え移ったのか。それならばまだ、辛い記憶や人へ対する不信感などはあったにせよ、それなりに普通の人間としての幸せも味わった時期があったんだと想像できるけれど、

妹を殺した子どもたちへの復讐、ただそれだけをアイデンティティとして生きてきたのだとしたら、あまりにも悲しい。ささやかでも彼の人生の中に、佐々部悟としての人生の中だけでも幸せな時間があってほしい。

 

大分シーンが遡ってしまうけれど、エリカはなぜボールを返しにいったのか。

このシーンにあるのは、エリカの悟に対する愛情の強さだと感じました。

ボールを返しにいったのは、「約束を守るため」ではないし、一緒に遊ぶためでもない。本当に一緒に遊びたかった相手、悟から叱責されたショックが大きかったことがひとつ。そして、ボールを返す=嘘を回収できる、と思ったのではないか、ということがひとつ。嘘を回収することが悟への誠意であると、幼いながらに思い至ったのではないかと…。遊んでもらえなかった悲しさ、叱責のショック、悟への誠意、がエリカを突き動かしたのではないか、と思います。

そしてその気持ちを読み取り、受け取ることは悟にとっては至極困難なことだったのだろう、ということも。

幼い二人の力では、どうすることもできなかった。あの結末を逃れることはできなかった。

 

 この映画を観て、私が(佐々部くんに関して)感じた唯一の救いは、エリカの思念が真実を伝えた、ということです。あの頃の二人ではどうすることもできなかった、だからこそ。

ボールを通じて仙石は悟に、エリカの声を届けた。悟が見て、聞いていたエリカの姿は、エリカの思念が具現化したもの。仙石が能力を一時的に分け与えた、とも考えられますが、前述したように悟には仙石に非常に近しい部分が(しかも自分の核となる部分において)あったから、ボール伝いであの瞬間悟自身がスキャニングの能力を纏っていた可能性があるのではないかと。だからこそエリカ自身の声を聞けた姿を見られたのかなと。

そういう部分があっての、もっと前提として、エリカの思念がそこにあった、ということは、エリカの魂はまだこの世にあった、ということかなとも思うんです。魂って言ってしまうとまた違うのかもしれないけれど…

残留思念、の定義が難しくて。思念が残るのはそこに強烈な感情や意識の動きがあったからだけれど、それはいずれかは消えてしまうものなのか(いわゆる霊魂のように、成仏すれば消える、とか…)、それとも永遠にこの世を漂うものなのか。そこがわからないんですが、私の中のイメージだけでいうと前者、霊魂に近いものかなあと思っていて。

もし、そうだとすると、という前提にはなるけれど、エリカの思念が消えずにまだ残っていた、ということこそ悟にとっての救いだったのではないかと。

エリカ自身の思念は、「おにいちゃんに嘘をついてしまったこと」。エリカの言葉を信じて、壊れていく、復讐のために生きる兄の姿をエリカはずっと見ていたのか。…ってなると思念ではなく魂のほうに近い解釈になってしまうけれど…

だから、復讐という行為に対してではなく、「悟がずっとエリカのことを想い続けていた」ことには意味があったんだよ、と、そう佐々部くんに伝えたい。

悟の胸の中で燃える炎は復讐、に愛されなかったことの憎しみをのせた色、だったけれど、根本にはエリカへの愛情もあった。

炎に飲み込まれながらも、その根本を失わなかったからこそ、悟はもう一度エリカと会うことができた。声が聞けた。姿が見えた。

そのことで、ずっと苦しんできた佐々部悟は、そして木戸悟は、報われたのではないかと思います。エリカの苦しみも、一緒に。

報われたのではないか、というより、報われていてほしい、という方が正確ですけども…

引き金を引いた後、仙石が悟に見せたのは悟自身の思念、まだ命があるから「生きているものの思念には意思が入る」。

もしかしたら、そこにはエリカの思念も寄り添っていたのかもしれない。

苦しみと悲しみと怒りに満たされていた悟の心が、温かく穏やかなものに包まれて消えていくような、そんな命の終わりに見えました。

 

という、感じで…整合性とか細かいところにうるさい芸人なので、ちょこちょことした(たぶん解消されない)疑問点はあるのですが、大筋はそんな風な解釈をしてやっとこさ落ち着いたところです。けど今これ書いててまたさ゛さ゛へ゛く゛ん゛…!(グスグス)ってなってる。

しかしまあ、佐々部くんが仙石と初対面してから命を絶つまでがたった4日間の出来事だったと、後からパンフレットを観て驚きました。佐々部くん自身血を吐くような精神状態だったんじゃなかろうか、と今更ながら心配してみる。心配…ほんとうに、及ばない心配の切なさよ…私誰だよ…

DVDが発売されたら、エリカとしての悟、の姿はまたひとつひとつじっくりと観たいですが、病室で丸山に名刺を渡して振り向き歩き出す時の怖い顔ももっかいじっくりしたい。ほとんどの時間を、エリカであることを微塵も感じさせず「佐々部悟」として存在していた中で、仙石の「遺族ではない」という言葉、丸山が病院でエリカの名前を口にした時、にほんの僅か漏れ出す動揺(それだって悟の素性を知らなかったらそうとは感じ取れない)は、演じる技術と書いて演技とはよく言ったもんだ!って思うほどでした。そこから最後には一気に溢れ出すんだもんなあ…一人で何役もこなしながらもそれをまた一人の人物に集約させる、みたいな、本当に技術も精神力も要る大変な役柄だったと思います。安田くんの熱演、とっても、本当に、素晴らしかったです。

また、安田くんが出なければきっと私はこの映画を観ようと思わなかっただろうし、こんなに衝撃を受けて心を揺さぶられる体験もできなかったんだなあと思うし、そういうことでも安田くんにありがとうです。おつかれさまでした。

ほぼほぼ安田くんと佐々部くんのことしか書いていませんがキャストの皆様の素晴らしい演技、脚本や演出、キャスティング、なんかもういろいろ!

ありがとうございました!DVD待ってます!

 

 

ーーーーー

追記(10/22)

ようやくスキャナーDVDを手に入れまして、本編だけ見ました。

さすがにもう落ち着いて見られるだろうと前半は余裕ぶっていましたが劇場のスクリーンより序盤から鮮明に顔まで見える”エリカの悟”にそのたび心臓がドキドキし、佐々部くんの最後はやっぱりオエオエ泣きながら見ることとなりました。あと10回くらい見たら涙に遮られずに見られるようになるかな…

で、上記の考察めいたやつに対してまた疑問というか新しい見方ができたので追記。

 

この記事の上の方で、佐々部くんのエリカに対する思いや行動を

『悟がエリカに向けているのは、ただただ大きな愛情。そこには自分も愛されたいという気持ちが、憎しみに変化せずそのままの形で並んでいる。…親の愛を一心に目指すがゆえに、「自分」という存在が自分の中から抜け落ちてしまった少年。』

という風に書きました。

時間をおいて改めて観てみると「自分の”愛されたい願望”を、エリカに愛を向けることで叶えようとした」ようにも見えてきました。

作中、外で遊ぶ子供たちを羨ましそうに見つめる視線を遮断したり、外から帰ってきたエリカを叱りつけ、ボールを返したいという願いもダメだ!と突き放した悟。そこに見られるのが怒りなのか苛立ちなのか。その感情の起因となったのは、単純にエリカが言うことを聞かない苛立ちだったり、それによって自分が親に叱られてしまうと思ったからであったり、本気でエリカの身体を心配する気持ちだったり…そういうものたちが混ざり合って怒鳴るなど強い態度を返してしまったように見えました。

…あんまり上で書いてたことと違わないような気がしてきた…

ううん、映画館で見ていた時は、悟の中での「愛されたい」と「エリカが大事」の二つは別個のもので、平行線上にあるもののようなイメージだったんですが(悟の人格が分裂しているという認識もあり)、改めて見たらもっとそれらがぐちゃぐちゃと、絡み合っているのかな、と思った、ということで…

 

いや、そもそも悟は「愛されたい」と思っていたのだろうか?

言いつけられたであろうエリカの世話を放り出すこともなく務めていたこと、エリカの死後エリカになろうとしたこと、は(エリカへの愛情も含みながら)親に自分を愛してもらいたいから、という願望が根底にあるんだろうなと、そこは変わらず思うのですが、

それにしてもなぜだか「愛されたい!」と強く渇望する気持ちがそこまで感じられない気がして…特に復讐の最終段階においての悟から滲むのは「エリカのため」という気持ちばかり。復讐が進むにつれて強い目的意識が動機を自分自身に刻み付けようとしたからだろうか。

愛されたいのにエリカの世話をすることでしか愛されない…」というフラストレーションだけなら、あんなふうに丁寧に足を拭いてやったり、その後も変わらず辛抱強く世話を続けたり、雨の中探しに飛び出したり…するのかな。どうも、愛されたい自分、よりエリカを大事に思う気持ちの方が強いように思えたのでした。

どうだろう。それらもすべて、やらなきゃ叱られる、と思ったからなんだろうか。思考より行動が先に出てしまう、そうしないと生きられない環境で育っている悟だろうからきっと。

でも、あまりに苦しいから、なんかもう、なんかもう、悟は、どれだけ尽くしても与えられない環境の中、愛されたいという願いを抱くことすら叶わなかったんじゃなかろうか、とそんな風にまで見え始めましたがこれは完全に創作の域~~~根拠がな~~~い。

佐々部くんの幸せをなんとかして見出したいと思うほどに佐々部くんが辛くなるような解釈ばっかり浮かんできちゃう。ごめんよ佐々部くん…

でもなにをどう考えてみても、悟は本当に忍耐強くて愛情が深い(暴走するほどに)男の子だったんだなと思います。そういうのを改めて感じられたり、こんな風に微妙に違う感じ方をしたり、できるので劇場でご覧になった方もそうでない方もぜひお買い求めになってお家での鑑賞をしてみるっていうのをおすすめしまっす✩