やすばすく

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『ラヴレターズ』より

文藝春秋(編)(2016)『ラヴレターズ』の中の一篇、加藤千恵さんの「岡村靖幸様」に綴られる岡村靖幸さんへの想いにグッときたので一節を紹介させていただきます。(一節というには長すぎるけど全部良かったんだもんな…)今の自分の状況や心の状態がどうあれ、忘れたくない気持ちというのがあるなあ、と思い出した次第です。

 

「今までわたしが、一番多くライブに行ったミュージシャンは、間違いなく岡村さんなのですが、岡村さんが登場する直前にいつも少しだけ泣きそうになってしまいます。それはなぜかというと、ライトで照らされている、会場を埋めつくすお客さんの表情が、例外なく、岡村さんを待ち焦がれている、まるで恋のさなかにいる人のようになっているからです。それはもう年齢も性別も関係なく。自分では確認できませんが、きっとわたしもそうなんだと思います。ここにいるみんな、岡村ちゃんが好きで好きでたまらないのだ、と考えると、その思いの強さに、なぜだか泣きそうになってしまうのです。」

 

「岡村さんはよく、モテたい、とおっしゃっていますよね。」

「だってこんなにモテているのに!と。こんなにもモテて、それでも足りないなんてどういうことなのだろう、なんてことまで思っていました。でも曲を聴いていて、ライブを観ていて、考えたことがあります。岡村さんはとてつもない愛を振りまいているのではないかって。」

 

「何かを作るというのは、孤独な作業ですよね。それは、仕事仲間とか家族とか友だちとか恋人とか、そいういう人たちがいるとかいないとかはまったく関係なく、圧倒的に。つらくてしんどくて、泣き出したくなるほど心細くて、消耗して削られてしまうものなのだと思います。どうしたって、真っ暗な中を、一人きりで手さぐりで歩かなければいけない。」

「それでも岡村さんがなおも、素晴らしい曲をつくりつづけたり、息を止めてしまうようなすごいパフォーマンスを見せてくれる理由は、愛なんじゃないかって思ったんです。」

ビートルズが、人が受け取る愛の量というのは、その人が与える愛の量に等しい、と歌っていましたが、もしかしてそれは真実なのかもしれないという気がします。そう考えると、愛を与えつづける岡村さんは、愛を受け取りたがっているのではないかと、納得してしまうのです。」

 

「わたしがお礼を言いたいのは、岡村さんが存在して、歌っている、その姿そのものに、なんです。」

「岡村さんがいたから、やれた仕事があるし、できた友だちがいるし、抜け出せた悩みがあるし、浮かばれた思いがあります。だからしょっちゅう、本当にしょっちゅう、岡村さんにお礼を伝えられたらなって考えています。でも全然正しい重さで伝えられる気がしなくって、こうして書いていても、不安になってしまうくらいなのですが。ありがとうございます。本当にありがとうございます。ありふれた言葉でしか表現できなくてごめんなさい。」

 

ありがとう、とたくさん伝えたい。ありがとうを伝えるために、頑張れ、と思うこともある。だけど、どこまでいっても、根本は、好きです、ありがとう。だなあ、と、思いました。