やすばすく

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幸せの青い鳥

安田章大さん、33歳のお誕生日おめでとうございます!

いつもたくさんの幸せをありがとう。

昨日、福岡で、数年ぶりに作ったうちわに、32年間のヤスくんへの感謝を書いて、それで、その気持ちがああ、本当にそうなんだよ、今まで生きてきたヤスくんにありがとうなんだよ、と、そういう思いでうちわを抱いてライブを見られたことに、とっても嬉しくなりました。私にとっての昨日の9月10日というのはとても幸せな気持ちをくれる記号でした。

いつも、ヤスくんのウインクひとつで、投げキスひとつで、いとも簡単に撃ち抜かれてしまう私は、今回のツアーこそは気を確かに持つのだ、と密かに思って向かったのですが、やっぱりいとも簡単に撃ち落とされていたので、もうこれからは、膝は砕けるものなんだって思って諦めようと思います。

だって、かっこいいんだもの。ヤスくんは、最高にかっこいいんだもの!目には見えないけど、あのウインクは、投げキッスは、舌なめずりは、実弾だよ!撃たれれば撃たれるほど胸に花が咲く実弾だよ!ハピネスハピネスハッピネス!

気持ちよさそうにギターを奏でる姿に嬉しくなるし、細胞総動員で表現をしようと動く体に、見惚れるし、吸い込まれるし、笑顔も、涙も、驚いた表情も、挑発するよな表情も、あったか~いもつめた~いも、激しいも穏やかも、ライブの最中だとか、思い出している最中だとか、そういうたくさんのヤスくんに、好きっ!好きっ!って、ぽっぽぽっぽと花が開く、これまた花が咲くんですよ、これがまた。これがいわゆる「自担に似る」ということなんでしょうかね。違うでしょうかね。違うでしょうね。

似てる、んじゃなくて、似てない、から惹かれるんだなあと思います。ヤスくんのことは、ファンになって何年目だろう、いまだに、というかますますとわからないです。ヤスくんの脳をぱっかりと割って見てみても、きっと私には何もわからないし、でもそこに広がる宇宙は見たこともない世界で、そう思うからヤスくんをずっと見ていたいと思うんだと、思います。

かと思えば、例えば「ヤス何言ってるの(笑)」という場面にはヤスくんの言わんとすることがすんなりとわかった(という感覚になった)り、ものすごく各々で解釈をして、受け止めようとするそれは、似てるとかじゃなくて安田担の慣習でしょうかね。それは誰担さんでも一緒なことか。でも、ヤスくんが表現しようとしていることが、伝わらずに切り捨てられたりしているのは、とてももどかしいからやっぱり、「わかる、わかるよ!伝わってるよ!」って、したくなるんです。よ、ね~。

 

舞台『俺節』、毎公演毎公演、その時間のすべて、海驢耕治の命を全うする姿に、何度でもどれだけでも心を揺さぶられました。コージの命を見て、コージの歌を聞いて、それでも思い返してみれば、安田章大の体を通って出てくる歌が、震わせる空間に居られたことを幸せに感じていました。大千穐楽で、袖からひょこっと出てきて、張り上げた声で安田章大の言葉を聞かせてくれた時に、とてもホッとしたのを覚えています。コージとヤスくん、コージを見ているつもりでヤスくんが混じり合っていたのかもしれない、でもなんだか、やっぱり舞台の上のヤスくんはコージだったんだな…とそんな風に感じていたから。あそこで安田章大を見せてくれたことは、お客さん、としてではなくてファンとしてありがたいことでした。

何書いてるのかわからなくなってきた…っていうのは毎年書くのでもう割愛してもいいような気がしますがやっぱり今年もわからなくなってきたので書いときます。迷走しないと気が済まないらしい。

 

俺節俺節でね、初めてヤスくんにファンレターを書きましたよ。舞台のことだけを、なるべく簡潔に、丁寧に、おかしくならないように…。観劇のたびにおてがみBOXに手紙を入れる、あの瞬間の緊張ったら。下書きをして、字を間違えるたびに便箋をぐしゃぐしゃと丸めて、何度も書き直して、たくさんの「安田章大さま」宛の手紙の中に自分の手紙を紛れ込ませるのがもう、ドキドキで、ああ出してしまった、おかしなことは書いていないだろうか、字は綺麗に書けただろうか、って毎度後悔みたいな高揚してた。届いたか届いてないか、目に入ったのかどうかはわからないけど、思いを伝え(ようとす)るというのもいいもんだな、なんて思ったりもしました。俺節がもたらしてくれたものの番外編でした。

 

そう、そうそう。俺節ではヤスくんの体を通って放たれる歌声が震わせる空間にいることが幸せと感じたように、ライブの時にはヤスくんの弾いたギターに震える空気に肌が触れることがそれだなとあらためて思いました。なんだか思い込みの激しい人みたい。私が。実際そうなのでしかたがない。

 

今は、ヤスくんの作曲した曲をプレイリストにして、聞きながらこれを書いています。ヤスくんプレイリスト、名づけてYASUDISC(センス)を作りたいなあと前々から思っていて、いや、プレイリストにするはするんですけど毎年、あまりにも曲の色も質感も幅が広すぎて、うまいこと順番にしてまとまりのあるものにしようってしたら難しすぎて、また今年も挫折ののち、ソロとか共作相手とかでまとめて並べたんですけれど、まあほんとうにテーマパーク。あちこちのぞく世界がどこもかしこも魅力的で、楽しくて。

初めて聞いた時にはびっくりすることも多いのです。一度では受け止めきれず、びっくり高揚するうちに曲が終わってしまって、聞けば聞くほどはまっていってしまうのです。これもまた、わかりきることなんてできない安田章大の宇宙!でもそこには論理的な何かが隠されているのかもしれない!わからないけど!そこにミックスされる、感覚的なものの配分が、安田章大の宇宙!

これからも非常に楽しみにしています。「義務になったらもうやめたほうがいい」という言葉が頼もしいです。宇宙の片鱗を、これからも存分に見せつけてほしいです。

それと同時に、ヤスくんの歌唱もいつだっていつだって大注目していますよ!曲の中の歌声をはじめとする様々な表現…と話しはじめればまた長くなってしまうのですが…今回は…端的にいえば…わたし鏡やアイスクリームの歌い出しに、今でも胸が高鳴り、鼓動が揺れるように、「ん~まっ♡」に関してはこの先もきっとずっと、腰を砕かれ続けるんだろうなって思ったということです。いつでも開いてときめきの湧き出す宝箱をいただいた、そんな心持ちで御座います。

 

音楽番組で初めて、『今』を歌うヤスくんを見て、ああ、幸せの青い鳥だ!と思いました。ファンとアイドル。関係性を問われて、ファンとアイドル。それ以上でも以下でもないと説明してしまえばそれまでだけど、でも、青い鳥、という表現は私にとってとてもしっくりとくるものでした。ヤスくんの姿を見たり、ヤスくんの生み出したものに触れて、色んな感覚や感情が生まれます。そんな中で、そのすべてがすべて、綺麗で温かなものだとは限らないにしても、やっぱりそこで、ああ、これって、幸せだ、ということに気がつくんです。

辛い時、苦しい時、悲しい時、ヤスくんの笑顔に元気をもらいます。楽しい時、嬉しい時、そこにヤスくんが関わっているともっともっと高揚した気持ちになります。すぐに卑屈で否定的になってしまう私にとって、それはとてもとても、とても大きな力です。だから、そんな風に、思ったり、感じたり、気づかせたり、してくれるヤスくんに、いつもたくさん、たくさんたくさん感謝しています。

 

あんまりいろんなことを願っても神様…的な…ところに届かないかもしれないので、今年はとにかく、ヤスくんが健康でありますようにってお願いしています。痛いとか、身体が辛いとか、そういうのが少しでも少なくありますように…!

ヤスくん、お誕生日おめでとうございます!大好きです!