やすばすく

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20180417

この三日間、関ジャニ∞にべったりの生活を送っていた。

関ジャニ∞の番組を見て、ライブDVDを見て、MVを見てメイキングを見て、関ジャニ∞の曲をひたすら聞いていた。物理的に聞けない時にも頭の中で自動再生されていた。そうしていることで安心できたし、逆にそこから離れると不安にまるのみされるんじゃないかと思って怖かった。

今日、仕事中にスマホをなくした。外に出た直後だったから落としたんじゃないかと思って、一時間以上探し回ったけど見つからなくて。(結局、室内を片っ端から引っくり返したら、記憶にもない場所から出てきたんですけども。)

気圧のうんたらで体調も最悪で、液体ばかりで栄養摂取してたせいか薬も効かなくて(そんなことあるのかわからないけど)、食べても食べなくても気持ち悪くて、そこへきて失くしものだ、弱り目に祟り目だ、って思って。

でも、体調が少し戻ってきたら、なんかちょっと今日の日中までと心持ちが変わってきているような感じがして。

なんでだろうって考えたら、スマホをなくして必死こいて探してる時に、「関ジャニ∞に触れない時間」が少しだけどあったんでした。

縋っているのか、隙間を埋めているのか、と昨日は思っていたけれど、ほんの少し離れたら、ああ、私にとっての関ジャニ∞は、依存する対象じゃなくて、心を支えて日常に楽しみをくれる存在だったよな、ということを思い出せた。それって依存と何が違うの?って言われたら、私には私の生活があって、その中で関ジャニ∞を選び取っているんだ、ということだと思う。心を支えてくれる、喜びを与えてくれる存在として、関ジャニ∞を自分の日常に組み込むことを、関ジャニ∞が好きだから、それを選んできたんだ、と思ったら、なんだか気持ちの感触が、変わった感じがした。今日は洗濯もできたし、ご飯も炊けたありえへん∞世界を見たら安田くんは今日もとても可愛くてかっこよかった。今日も私は関ジャニ∞が好きだった。

 

関ジャニ∞の歌声は、すばるさんの歌を真ん中にして成り立っていたと思う。

それは「すばるさんの歌声だけによる」わけではなくて、渋谷すばるという無二のボーカリストが真ん中にいるからこそ、それぞれのメンバーが絶妙にバランスを取って、様々な声音が厚く大きな層になってぶつかってくるような、インパクトと繊細さが共存している歌声を、関ジャニ∞は実現してきたんだと思う。

丸ちゃんとヤスくんのハモの細やかな技術、豊かで色とりどりの表情を歌声に乗せる表現力。大倉くんの今や必要不可欠となった甘い低音と狂いのないリズム感。他の誰にも例えることができない個性と色と優しさを持った横山さんと村上さんの声。渋谷すばるとは真逆に近い、甘やかでありやんちゃなハスキーボイスを武器に双璧を成す錦戸亮の歌声。

一般的にグループアイドルというものであれば、何人もの声が重なって、まとまって、一つの玉のように一つの声のようになっていく、その集った一体感こそがそのグループの「声」になっていくのだと思うのだけれど、関ジャニ∞の声は全然、まったく、まんまるな一つの玉じゃない。

それぞれが絶妙なバランスを取りながら、それぞれの個性を失わず、多重層として存在する。一個体にまとまってしまわずに、だけどバラバラにならない。それこそが関ジャニ∞が見出してきた道であり、磨いてきた武器であり、そしてそれは、渋谷すばるというボーカリストなしでは考えられないバランスの取り方だったと思う。

これからの関ジャニ∞の歌声は、どんなふうになっていくんだろう。きっと、今までの関ジャニ∞とは全く違うものになっていくだろうし、そうなっていかなきゃならないんだろうとも思うし、だけどこれまで磨きに磨いてきた彼らの武器は決してすぐに壊れてしまうような軟弱なものじゃない。

ああ、これから、とか考えるような、段に足を踏み入れてるのか、私。

とか思ったらまた揺り戻しが来て、悲しみに溺れる時間もまたどれだけでもやってくるんだろうけれど。実際さあ曲を再生だ、って並んだ曲名をスクロールして眺めただけでまた泣いてしまうんだけれど。ああ、やっぱ、信じられないなあ、って思ったりしてるんだけれど。

関ジャニ∞のメンバーは今を、今、何を思っているだろう。笑えているだろうか。驚くほどに、関ジャニ∞を好きな気持ちだけが微塵も揺らがない。