やすばすく

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2018

2018年は、ずっと何かしらについて考えて、考えて、向き合い続けた一年でした。すばるさんのことはもちろん、やすくんのことはもちろん。ジャニーズにまつわることだったり、自分のプライベートなこと、仕事のことにおいても。だからなんだか、とても重たく、もがいた一年だったなあと思います。

でも、もがいた先には必ず変化があって、向かいたい先があるからもがくんだなあとも思います。絶望だけじゃないから、もがいて、希望の気配に向かってのぼっていこうとするんだと思います。

 

すばるさんの姿をメディアでも舞台上にも見ることがなくなって約半年が過ぎました。いまだに、もう私は受け入れたぞ、と思って次の日にはなんでなんだ、と頭が真っ白になるようなことを繰り返していて、なんだか7人の関ジャニ∞を見ていた自分と、6人の関ジャニ∞を見ている自分が、平行世界に同時に存在していて、そこを行ったり来たりしているような感覚がしています。

関ジャニ∞のメンバーは、あの日からずっと、前へ、前へ、と、彼らもまたもがいているように見えます。そしてそのもがく姿や、心の内を、以前よりもっともっと見せてくれているように思います。今年においては、メンバーの発言に「あの時は本当はこう思っていて」というタイムラグをあまり感じなかったような気がします。リアルタイムが必ずしも最良なものである、というわけではないですが、「今」、彼らはどんな風に思っているのか、を知ることができたことは、とてもとても心強いことでした。

そして、彼らが「渋谷すばる」という存在を、消し去ったり、腫れ物にしたりしなかったこともまた、ファンの心を支えてくれたと思います。

つい先日はサタデープラスで。誰でもいいから芸能人の名前を挙げて、というフリに対して一番手で指名された丸ちゃんが、「渋谷すばる!」と答えたこと。(その前に、和田アキ子さんのものまねをしている芸人さんから、丸ちゃん関ジャム以来やなあ!という絡みを受けていて、そこで一緒にセッションしていた、という文脈はあるにはありましたが。)一瞬スタジオにもピリッと緊張感が走ったような感じがして、というかこちらが勝手にそう見てしまったのかもしれませんが、それでも「渋谷すばる」を選んだ丸ちゃんに、「腫れ物になどしてやるものか」という気概を感じて、胸が震えました。

すばるさんが関ジャニ∞としての活動を閉じてからも、メンバーの口からは「すばるが」「すばるくんは」「渋谷は」と彼の名前が何度も紡がれました。すばるさんの名前をいつでも「普通に」語れる関ジャニ∞であってほしいし、「普通に」語れるようになりたいという個人的願望もあります。語っているけどね!人それぞれで、それがツライという人も、きっといると思います。私は、普通に、普通に、ずっと、そうやっていきたいと、今は思っています。

 

永遠なんてない、というのは、ここ数年じわじわと、特に慣れ親しんだメディアの世界で味わってきたことですが、今年は殊にそう思い知った一年でした。

でも、永遠どころか、明日の自分が何を考え、物事をどう感じるかすらわからないし、「ずっと大好きだよ」という言葉を語れる人間ではありません。人の気持ちほど、前触れも予兆もなく、そして何の責任もなく、変わってしまうものはないと思います。私は今、たまたま10年くらい関ジャニ∞を好きな気持ちが続いているだけで、来年には、そして明日にはどうなってるかの予想はつきません。「変わらぬ気持ち」を約束することは、私にとっては嘘を孕むようなものに感じられるから、「ずっと大好きだよ」というよりは、「好きだ、と思う今を想いが続く限り積み上げていくよ」という風に思います。(だからこそ、たくさんの人の「好き」を一身に集め生きていく、生きて行かざるを得ない「アイドル」という職業を、私はとても尊敬しているのです。)

好きになれて幸せだ、ありがとう、と思う気持ちを、その時その時にどうにか何かの形で表したり、何かを買うことでそれを返せると思ったら可能な限りで買いたいし、番組に面白かったですって伝えたいし、舞台素晴らしかったですって手紙を書きたいし。そういうことを来年は!さらに大切にしていきたいなあと思います。

 

自分の気持ちに素直になって表現すること、を躊躇わなくなった安田くんに、私は希望と不安を同時に感じています。何かを好きになればなるほど、そこに広がるのは甘味だけではなく、苦みや痛みにも必ず触れることになります。その対象が人間であればなおさら。全く同じ考え方、感じ方のできる人間なんてきっと一人もいないし、だから常に、それがアイドルとファン、という直接実生活で関わり合うわけではない関係であっても、私はこの人とどう関わっていくのか、ということを考え続けます。

やすくんは、私にとって、心の宇宙に輝く一等星のような存在です。苦しい時も辛い時も悲しい時も、楽しい時も嬉しい時も。私の心の中ではやすくんが輝いています。それと同時に、家族のような思いでやすくんを見ているようにも感じます。大怪我をしたこと、脳の手術をしたこと。初めて聞いた時には、心臓を抉られるようでした。代われることなら、なんてことも思ったし、どうにかしてなんとかして一ミクロンでも支えのようなものになりたい、けど直接できることなんて何もない、という無力感でいっぱいで、そのくせやすくんがもし私生活でパートナーを迎えたら、ということにはまだまだ複雑な気持ちを抱くような、心からの心配と心からの自己中心的な感覚が両方あります。(このことにはまた今度、あらためてじっくり書いてはみたいのですが、まあそんな自分が嫌になったりもしますし、現段階ではそんな自分だからまあしょうがない、とも思います。)アイドルとファンは、どうあるべきか。それを長々と考えてもきましたが、それは、べき論、で語ってはいけないことですね。アイドルとファン、は、形を見れば少人数(もしくは一人)対無数の数、という関係で、それでもそれぞれの心の中では一対一の関係です。だから私は私の関わり方だとかを、これからもずっと模索していくし、そのことに終わりはないんだろうなあと思います。私も変わるし、ヤスくんだって、変わっていくし。

 

暗くて重たい感じになってしまいましたが、そんな感じで一年間、ぐるぐるもやもやとしていたものが多かったし、胸を締め付けられる出来事や言葉や表情に、例年の百倍くらいであったように思いますが、それを経てやすくんを、関ジャニ∞を今も好きで、大好きでいることが、ものすごく嬉しいのです。「好き」という気持ちは私にとって、自分の根幹を支えるような大きなものなので、そこにやすくんが、関ジャニ∞がいることは、ときめきと喜びと共に安心すら感じさせるもので、それが先ほどの「家族のような思いで見ている」というところにもつながるのかなと思います。

苦しいも痛いもあるけど、それを思い切り上回る幸せをもらっている、それはある種の信頼、でもあるのかもしれません。でももっと来年は!肩の力を抜いて、関ジャニ∞と「一緒に」楽しむとか、そういうことを、肩の力を抜いて!やっていきたいなと思います!

 

ああ、今日で、「関ジャニ∞渋谷すばる」じゃあなくなるのか。

すばるさんのいる世界は、とても輝いて、とても楽しくて、笑いも喜びも突き刺さるような痛みもたくさん、たくさん、抱えきれない程もらったなあ。

これからも自然に、渋谷すばる、という存在をいろんな記憶と共に触れていたいし、未来のことはわからないけれど、いつかどこかで、輝くすばるさんの存在を感じられる日が来たら、それはとても素敵なことだなと思います。

何か、いろいろな言葉をもっと綴ろうと思っていたけど、もう、ありがとう、しか出てこないや。ありがとう、ばっかり出てくる。

ありがとう、すばるさん、ありがとう。

あなたのいる世界を、関ジャニ∞渋谷すばるがいる世界を、生きることができて幸せでした。

ありがとうすばるさん。

関ジャニ∞って、最高ですね!

みんな、本当に本当に、関ジャニ∞も、ファンも、その一部の私も!たくさんの人が本当によく頑張った一年だった!頑張った!すごいぜ!よくやったぜ!

って何かしらの神様もきっと言ってる!

関ジャニ∞、ありがとう!今日もあなたたちが大好きだ!