やすばすく

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いのちの食べ方

安田さんの投げかけをきっかけに、命をいただいて生きているということ…をじっくりと考えるようになりました。

でも自分で想像してみるだけではなんだか足りない。かといっていきなり動画だったりなんかを見る勇気がない。

というところで探してみたところ、入門編として良い本に出会いました。

森達也「いのちの食べ方」(2004,理論社

いのちの食べかた (角川文庫)

いのちの食べかた (角川文庫)

  • 作者:森 達也
  • 発売日: 2014/06/20
  • メディア: 文庫
 

人類、そして日本はどのような食肉の歴史をたどってきたのか。

牛や豚がどういう工程を経て食用肉の形となりお店に並ぶのか。

その作業を歴史的にどういった人たちが担ってきて、どんな扱いを受けてきたのか。

「思考停止」と「穢れ」という言葉をキーワードに、それらのことがとてもわかりやすくよみやすく書かれています。

しかし内容はかなり具体的かつ率直で、牛や豚がと殺場に運ばれてきてからどんなことをされるのか、がありのまま記されています。

食肉のことだけでなく、薬や日用品の安全性のための動物実験、害虫の駆除…いかに人間が”快適に”暮らすためにたくさんの命を殺めているか、そういったことにも気付かせてくれる一冊です。

また、仏教と神道が融合した日本ならではの「殺生をすることへの穢れ意識」によって見えないところへ追いやられる「命をいただいている」という実感、一方でその仕事を押し付けた部族に対する長く続く差別意識…といった観点での社会問題も語られています。

誰しもが「知ろうと思えば知れるのに知ろうとしない」感覚と「気付かず抱いている差別意識」というものもまた、命をいただいて生きていると意識するには、大事なことなんだなと思い知らされます。

とにかく、イメージはしてみたけどもう一歩踏み込んで考えてみたい、という方にはお薦めの一冊です。

 

ここからは、この本を読んでプラス安田さんのボク。での語りかけから感じた個人的な感想を書きます。

森さんの本には「僕たちがするべきことは、知ることだ」ということが繰り返し書かれていました。

安田さんも、知って想像してみようよ、と何度も呼びかけています。

私が命をいただく、特に食肉においてのそれを考えるにあたって浮かんできたのが、

・なぜ私(たち)は「見たくない」という感情を抱くのか?

・なぜ、知ることが大切なのか?

というところでした。

 

まずひとつめの、なぜ「見たくない」という感情を抱くのか?についてですが、

これは単純な言葉で言ってしまえば「怖い、気持ち悪い」「いたたまれない」いわゆる「生理的に受け付けない」ということ。また、そこまでいちいち想像してしまうと、食べることが苦しく辛くなってしまうということ。といったことが答えとして浮かびます。

だからこそ森さんの言うように、どうやって「命」が「食べ物」に変わるかの工程は目に触れないようにして、私達は感覚を麻痺させることで立ち止まることなく食べてエネルギーを燃やしてのサイクルを生きている。

もっと突き詰めると、どうして「怖い、気持ち悪い」という感情・反応が生まれるのかというところも不思議で知りたいところなんですが(自分の痛覚や人間の肉・骨のイメージを重ねるから?)今回は一旦そこは置いておきます。

ふたつめの「なぜ、知ることが大切なのか?」ということへの答えもこれと深く関わってきます。

人間は、動物の中で唯一、自分の手で殺さずに命を摂取している生物だから。

というのが一番わかりやすいのではないでしょうか。

(もちろんと殺場で働く方々や漁師の方々、実験に携わる方々は別ですが…)

森さんは本の中で以下のように書いています。

 

「世界は回っている。ずっと昔から。動物たちも循環している。ずっと昔から。でも気づいただろ?人間は回っていない。この大きな輪から外れている。人間は魚や鳥や動物を食べるけれど、もっと大きな動物に食べられることはほとんどない。死んだあとも焼いて骨にしてしまうから、虫やプランクトンに食べられることもほとんどない。」

 

命をいただいているんだ、ということを考えるべき理由は、

・生き物としては当たり前の「命を奪い生きる」という行為の核となる部分を見えない場所、職種の人に押し付けて生きている人が大多数だから

・人間は生命の循環の輪から外れ、その輪を乱しながら生きることを選んでいるから

というふたつが、今のところ私が思い至ったふたつです。

 

だからといって、「そんなの人間のエゴじゃないか」ということもあると思います。

「命をいただいていると意識し、感謝することになんの意味があるんだ、そうして何が変わるんだ、どう我々にメリットがあるんだ」という視点もあると思います。

ある種、そう思うことで罪悪感を回避できる部分だってあると思うから。

それでも、奪った命で私たちは生きています、ありがとう、と感謝をする気持ちが大切だと思うのには倫理観だけじゃない理由がきっとあって…

例えば人間が生き物の一員、自然界の一員であることを忘れないため

それを忘れていずれ自然の環から弾き出されて行き場を失い絶滅する可能性がないとは言えない、それを回避するため

みたいな…ことを言うとSFぽさすら漂っちゃいますが…

理由はきっとあります、今この段階で見えていない起こっていないことでも、脳が考えることの先には何か起こりうることへのシグナルがあると私は思っています。

 

と、まあ、こんな風に考えるきっかけとなった安田さんのボク。でした。

関ジャニ∞がほぼほぼ関係ないブログになってしまった。

でも想像したこと、知ろうとしたことで得られたものや深まった考えがたくさんありました。ありがとう!

好きな人きっかけで考えの幅、深さ、視点が広がっていくのは年齢を重ねてもとても有意義なことだと思います。

人生一生勉強だ。