やすばすく

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揺るがない息吹を

3月に放送されたこの番組を、録画したまま見ることもせず5月になっていた。

もっと言うなら、昨年10月に放送されたサワコの朝も、もっともっと言うならGR8ESTのメイキングだって、見られないままでいた。

 

今日、安田さんがボク。を更新して、それを読んでやっと決心がついて、まだ勇気はなかったんだけれども、ええい!という気持ちで、「ザ・ヒューマン」の再放送を視聴した。

 

そこにはただただ、安田章大という人がいて、安田章大という生き方をしていて、そのことを画面の向こうのひとりの私にも教えてくれた。

見ている間はじっと画面の向こうの安田さんの姿と声を追っていたけれど、見終わって10秒くらい経ったら、洪水みたく感情があふれてきて、一緒に涙も出てきた。でもそれが、安心なんだか、悲しみなんだか、辛さなんだか喜びなんだかよくわからない。

ただただ、安田章大という人が、自分の中を熱く沸騰させる人であることを、あらためて強烈に感じた。

 

 

私はたぶん、怖かったんだと思う。

 

自分が、アイドルという存在に強いこだわりを持っている人間だという自覚があった。

自分が、これまで安田さんに、関ジャニ∞に、それから他にも好きないろんなアイドルの人たちに、望んできたもの、押し付けてきたものの大きさを感じていた。それがアイドルという職業の性だとされていたとしても、願望が何十万と塊になって、最終的に一人の人間にぶつかってゆくのだ。

であるがゆえに、自分が応援している、と思っていることが、結果として大好きな人たちを苦しめる一因に、ほんのほんのほんの一滴であってもその流れの一部になってしまうんじゃないかという葛藤は、ずっとあった。

アイドルというステージに、縛り付けてしまっていることは、彼らにとって幸福なのか、そうではないのか、だとか、そういう極論的なことを考えては、壮大に考えすぎなんだ、私はただただ一滴として自分に合った形で楽しめば良いのだ、と自分を諭すみたいな、禅問答みたいなことをしていた。

 

ありのままの自分、素のままの姿を届ける安田さん、そして、大きな病気と大きな怪我を抱えたこと、もしかしたら命を落としていたかもしれない、もしかしたら表舞台から立ち去っていたかもしれない、そういったことの一つ一つを、知ることで、

自分の抱いてきた憧れや夢が、すべて苦しみに塗り替わってしまうんじゃないかと、彼を憧れのアイドルとして見つめる眼差しより、それ以外の感情の分量が大きくなってしまうんじゃないかと、そんな恐怖があったんだろうなと思う。

こうして文字にしてみるとずいぶん自分勝手だなと思うけれど、私は私で、私の毎日を生きることに必死だから、それもまあ仕方がないよな、とも思う。

 

だから、応援しているけど、応援してるって言ってるけれど、安田さんの発信するありのままを受け止めるまでに、勇気がいったし、決心がいった。10年以上ファンしてるのに、我ながらずいぶんと情けないよなあと思いつつ、再生ボタンを押すことのハードルがどんどんどんどん高くなってしまっていた。写真集も、一度開いて大泣きしてから、まだ二度目を開けずに飾ってある。

 

安田さんは、表には出さない考え、見せない顔、たくさんあるんだろうし(それが当たり前のことだろうし)、そのことが彼自身を苦しめたことだってきっと想像できないほどたくさんあるのだろうけれど、

安田章大という人の、生き方も考え方も、少なくとも私が好きになった日からずっと「連続しているもの」だと感じている。この番組を見て、あらためてそう思う。

筋が通っているとか、軸がぶれないとか、いろんな言い方があると思うけれど…「繋がっているもの」、「紡がれているもの」、そんな言葉がしっくりとくる。

安田さんは、変わらないのでも、すべてが変わるのでもなく、ずっと安田章大でありながら、変わらずに変わり続けている。

 

そして、いつだって、やすくんは世界に向かって両手を広げているのだ。

 

多くの人は、(私もふくめて、)世界が自分のためにあってほしいと願うけれど、

安田さんはきっと、自分が世界のためにある、と、そんな風に心の底から思っている人だ。

それはいつからなんだろう。わからないけれど、少なくともここ10数年、メディアやステージを通して見る彼からはずっと、「自分は世界のために」の心を感じている。

そうして、2017年を経て、それがより積極的な形で現れるようになったんだと思う。

 

そんな安田さんを見て、感じること、考えることは年々増えていく。

時にはそれで勝手につらくなったりもするけれど、一人の人間を「好きだ!」と思って、じっと見つめて、じっくり感じて、考えることは、とっても豊かなことだ。

そうして、時折のつらさや悲しみの何十倍何百倍何万倍の、幸せを受け取っていることを、私はいつでも忘れないでいたいと思う。

 

感じて、考えて、けれど、ずっとそうしている必要はなくって。

なんてかっこいい顔なんだろう、とただただ見とれる時間や、行動も言動も可愛い可愛いってひたすら愛でる時間や、歌声やパフォーマンスに力をもらう時間を過ごしながら。

自分のペースで、向き合ったり向き合わなかったりしながら居たい。

そうすることに、誰の許可もいらない。罪悪感も、いらない。

やすくんを好きだから感じられることを、ひとつずつ拾い上げていきたい。

まったく、すげえ人を好きになったもんだ、私。

 

(今日をきっかけにサワコの朝も見ることができました、ありがとう。とても素敵な番組で、見ることができて良かった…!)