やすばすく

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血とか縁とか

村上信五さん、36歳のお誕生日おめでとうございます!

2017年は村上さんの掴んでくるお仕事のニュースが舞い込んではすげえ、すげえ…って感嘆してたらまた次のビッグなお仕事ニュースが飛び込んできて…みたいな感じが一年じゅう続いてた、みたいな印象でした。

ゆるくいこうよ、無理しちゃだめだよ、な世の中の風潮の中でそんな雰囲気とは真逆に思えるメラメラのイメージを纏った村上さんが求められることに、貫いてきた村上さんの”勝ち”を思って、いや勝ち負けとかじゃないっていうか勝ちって言ったら勝ち負けの話になっちゃうからあれなんですけど、強さ、村上さんの強さにみんなきっと惹きつけられるんだなあ!ってそんなことを思っていました。だから、雑誌なんかで村上さんの単独インタビューを読んでいるととても面白いです。びっくりする部分が多いから。知れば知るほど興味の湧いてくる方だなあというのは、今年特に思ったことでした。

といういろいろを差し置いて一番唸り声をあげていたのは信ちゃんの!チャーミングさについて!!!

大物芸能人の、トーク慣れしていないアスリートや歌手の、緊張している一般人の、すいっと懐に入っていくところと、場の空気をぱああっ!と変えてしまう心づかいのところと、天然のところ…

特に音楽チャンプという番組における村上さんのチャーミング力はとてもとてもとても重要な役割を担っているなあ!と感じます。立ち込めている暗雲をしゃら~っ!と吹き分けてしまうようで、北風も太陽もできる人。涙する挑戦者を励まし酷評した審査員のプライドを傷つけないのは技術力もそうだけどお人柄、ということなんだろうなってあの雲が晴れていく感じを見ていつも思います。

37歳もたくさんチャーミングな村上さんを見たいなあという願望です。でそれ以上にどうか心身ともにご健康で…!というお祈りをしてます。信ちゃんが美味しいものいっぱい食べて、いっぱい笑って元気でいられますように!

久保みねヒャダ明けまして寿スペシャル

お正月のスペシャルにて安室さん曲の歌詞解釈から久保さんの「肯定形、否定形」のお話

 

キャッチコピーとか台詞とか考える時に、あんまり否定形を使わない方がいいなっていうのをちょっと思うことがあって。否定形の強調ってあるじゃないですか。

(ヒャ:負けたくないとかですか)

負けたくないとか止まってるヒマはないとか、よく広告とかのキャッチコピーとかでも見かける時に、否定形ってねあんまり残んないっていうか刺さんないっていうか。結局立ち止まらせる効果?なんなんしちゃだめ、みたいな。

(ヒャ:ダメ、ゼッタイ。)

ダメ、ゼッタイ。みたいな。やつは、立ち止まらせる気持ちにはなるけど背中を押す気持ちにはならないなって思うんですよ。だからDon't wanna cryみたいに聞くあれでもあんまりそっちはこない。英語って言うのもあるんですけど。それよりも、否定形の先にどういうふうに背中を押してもらいたいかっていう、気持ちがのせれる歌詞を作れるかっていうのが、歌ってすごい台詞でもそうですけど大事かなと思うと、やっぱこのどこへでも続く道があるって、もう誰だってここに気持ちを馳せられるじゃないですか。なんかこれから何かしようって時に、絶対君ならできるみたいな歌詞になっても、いやいやそんなできないこともあるしみたいな思っちゃうけど、どこへでも続く道があるって言われると、あ、って、自分が何か頑張りたいなって言う時の気持ちを重ねやすいなって思って。
他で言うとChase tha Chance、って曲があるじゃないですか。あれの歌詞が。

(能:夢なんて見るもんじゃない語るもんじゃない)

あそう語るもんじゃない、見るもんじゃない語るもんじゃない叶えるものだからって。
否定を二回言った後に、じゃあどうするのってなったら叶えるものだからってパッと肯定形出すのって強いなって。
(ヒャ:何かの本で読んだんですけど、自分のマインドコントロールとかする時に、否定形はだめなんですってね。私は弱くない弱くないって、弱いって言葉が入っちゃうから。まずそっちが自分の中に入ってくるんで。いくら最後で「ない」で否定しようと弱いって言葉の漢字のイメージとかが入ってくるから。私は強い私は強いって言った方が、強いって単語が入ってくるからそっちの方がいいと)
やっぱそれだそれだ。
(能:私いっつも仕事しなきゃって思いながらツイッターやってる時に、ツイッターやめようはだめだもんね。ツイッターしないツイッターしないと思ってもツイッターしちゃうから。30分後に仕事終わらせるって書いた方が絶対終わる)
(ヒャ:ツイッターをしないはツイッターて出てくるから。)
(能:それすごいしっくりくる)
前もなんか番組で言った気がするけど。自分の何か目標とかに、なんなんしないっていう否定形でしたくないって思ってることって一番最悪な形で帰ってきちゃうって、しっぺ返しくるって言ったじゃないですか。だから私だったらなんで久保ミツロウにしたかっていったら性別を気にして漫画を読まれたくないってその時は思ったから、あえてどっちでもいいように久保ミツロウって名前にしたら、結局後で顔出しとかした時に、やっぱりなんか男の名前なのに女じゃんみたいな感じをすごいきて、ああなんなんって思われたくないって言うのは、結構一番嫌な形で帰ってくるなって思うから、いっそそこの先の、じゃあ自分はどう思われたいかって打ち出すまでが、結構夢を考えたり何か自分の目標を持つ時に大事なことなんじゃないかなあと最近強く思うことがあって。それをね安室ちゃんの歌詞を見ていて思ったんですよね。

でドキュメンタリーのやつとかみてても、初めて安室ちゃんが作詞したのってSay the word。ありふれた言葉でいいってサビの部分で行ってるのが、そこやっぱ安室ちゃんも初めて自分で言葉を紡ごうって時に、世の中ありふれた言葉すぎてその歌詞はちょっと凡庸すぎないかってやつもあるじゃないですか。でもやっぱ安室ちゃんはちゃんとすごい良い言葉紡いでくれるなあってSay the wordの歌詞改めて聞いて思ったりして。なんなんとかしたくない!とかいうほうではない。誰か、自分の子供息子に対して伝えたい言葉残したい言葉っていうのが明確にあると、あやっぱそういう一歩先の言葉がでるなと、思いました。
(ヒャ:確かに。それは全く同意見ですね。逆になんとかじゃないっていうの僕使う時は若干、その未熟さだったりとか迷いとかがある女の子の決意とかだったら逆に使ったりしますね。)
関白宣言とかすごい言われてる(笑)俺より先に寝てはいけない、俺より後に起きてもいけない。まあでもそのあとなんか、俺より先に死ぬなみたいな肯定形になってくるんですけど。やっぱこう否定形を多めに入れた場合、それを超える肯定形を入れないと相殺されないなって。

(ヒャ:回収しないといけない)

回収されないといけないですよね。ものを作る時は、若いうちはどうしてもひょっとしたら否定形ばっかりで、こんな風に思われたくないみたいな気持ちでものを作ったりするけれども、じゃあその先の肯定で何を考えるかを私たちも考えなきゃなと改めて思いました。ありがとう安室ちゃん。

ハッピーワード

丸山隆平さん、34歳のお誕生日おめでとうございます!
泥棒役者、人生の厳しさを背景にしながらもじんわりと心が温まるとても素敵な映画でした。そんな映画の主演が丸山隆平であることが誇らしく、はじめくんの情けないけど憎めない人柄が丸ちゃんのいつも滲ませている成分と融合しているから生まれている温度があるんだなあと感じます。
番宣でものすごくたくさんの番組や雑誌に登場していながらも、そのどれも、見ていて「丸ちゃん楽しそうだな」って感じるのが、もう、本当にすごいことだと思っています。主演が映画を愛していること、監督や共演者や映画から愛される主演であること、画面や誌面から伝わるその雰囲気は見ているこちら側をハッピーにしてくれます。
アイドル丸山隆平を存分に表現しながらも、三十代男性丸山隆平であることが隙間から垣間見えるようなそんなところが大好きです、目の前にいる人を悲しませないように、丁寧な作法や大胆なアプローチでそれを成していく姿はとにかく人肌を感じるなあと思う部分です。

 

そんな丸ちゃんに伝えたいことがあります。
ふわふわポムポムを!!!この世に創り出してくれて!!!本当にありがとう!!!!!
去年の今頃書いたブログでは「FFPPプロジェクト観終えました」の段階でしたが、完成した楽曲を耳にして以来、私は完全なるふわポムの虜です。
初めて聞いた時こそそのカオスっぷりに面食らいました(未開の宇宙に彷徨いこんだ感たっぷりだった)が、聞けば聞くほど中毒です。日常の掛け合いや言葉選びにおいても音を大切になさる丸山さんのらしさが、メンバーから集めたハッピーワードを未知のお味の料理に仕上げました!的、中毒性!メンバーから集めたハッピーワードですって言ってるのに「意味のない」って言いきっちゃってる!ハッピーワードの羅列に潜む「ありがとう、ごめん言わされた。」の痛烈な漆黒!ハピネスハピネスハッピネスの味わいに油断してたら脇腹刺される感じ!
っていう、風に、ふわポムのことを考えるほどに興奮するんですよね…
なんだろうふわポムのこの中毒性、聞いた後のこの感じ…って思ったら、やっぱり巡り巡って「意味のなさ」に尽きるんですけれども。
意味のあるもの(意味のありそうなもの)を作ることこそが芸術で音楽で表現で、そういうものにこそ価値がつく、みたいな、そういう世間一般的価値判断を最初から放棄してる潔さ、その壁をスンって通り抜けてるふわポム。かっこいいっていうか、強い!「意味のない」、強い!
応援もされないし、励ましもされない、共感もできない、それなのに聞いた後、気持ちいいというか、頭が空っぽになってるのは、ふわポムが「なにも考えさせない」曲だからなんでしょう!
毎日毎日毎日、考えることばっかりで、考えなきゃいけないことばっかりで頭が痛いくらいで、情報を詰め込んで感情を読み取って思考を働かせている人間、そうやって生きてる現代人、だからふわポムという「メッセージ性の全くない曲」を浴びると、考えることをやめられるんですよ、考えることをやめた時に、もう気持ちよく、心と頭が解放される感覚。だからこれ書きながらふわポムリピートエンリピートしていますけれど、ずっとニコニコしてます。
ふわポムを聞いている間だけでも、考えることをやめられる。それって、ものすごく、とてつもなく、私にとっては衝撃的で、黒船的で、素晴らしいことなんです、だからこんなに虜になってるんです!
丸ちゃんの天賦の才、ここに君臨せり。

 

あとヤスくんの「大好きウミウシ」のヒーリング効果もすごいの。解放されてヒーリングされるの。ありがとう丸ちゃん。

 

興奮しすぎて宗教みすら帯びていますが、そんなこんなでふわポム大好き、ふわポムを生み出してくれた丸ちゃんに感謝、ということでした。
丸山さんが時に滲みださせる変態性が好きです。
ふわポムの誕生を祝うような記事になってしまいました。
あらためて、丸山隆平さん、お誕生日おめでとうございます!健康に気を付けて、今年も丸ちゃんのたくさんの笑顔と、いろんな表情が見られますように!

すごい人

錦戸亮さんお誕生日おめでとうございます!

ここ数年、個人的に、ぐいぐいと、錦戸さんに対する「すごいなあ」の気持ちが、具体的な事象に向くようになってきたことを、感じています。前はもっと漠然と、「亮ちゃんってすごいなあ」って思ってた。素晴らしい演技ができて、かっこいい曲が作れて、二つのグループで並行して活動をして、すごいなあって。

それがもうここ数年は、「この歌詞の運び方痺れる!」「メンバーの魅力の引き出し方とそこに篭って零れる愛情!」「台詞の合間に眉をピクリと動かす一動作によって心の内が伝わってくるその演技力!いや演技と呼ぶのも躊躇われるほどの自然さ!」「遠慮とボディタッチのスイッチングの激しさ!」等々、ピンポイントですごい!亮ちゃんすごい!これもすごい!あれもすごい!って感嘆しきりです。

ひとつひとつのことに、みなぎるパワーを感じる、こう…元来のセンスとバランス感覚とがっしりとついてきた体力が同時に弾けてあっちこっちで爆発してる!みたいな、銀河の活動のようなイメージを持ってます。話が大きくなりすぎました。

 

亮ちゃんプレイリストを作っていたら、どんどん新しいことに挑戦して切り開いているイメージを持っていたのに、実はブレがないんだなあっていうことを感じました。好みの音色、とかそういうのが出るのかもしれないけれど、おしゃれでかっこよくて、でもどこか切なくて、誰かを見つめているようでいて自分と向き合っている、そんな主人公が亮ちゃん自身のイメージと重なって、より曲に引き込まれていくんだと思います。

ユニット曲ではそのメンバーとだからこそできること、を、最も突き詰めているのが亮ちゃんとすばるさんだと思っています。そしてそれがどの曲においても的確。ファンの求めるもの、欲しがってる方向性をドンピシャで突いて、さらにその上を行くプロデュース能力。100万のお星さまを叩きつけたい。関ジャニ∞の物語、錦戸亮の物語、(それがフィクションかノンフィクションかはわからないけれど)(ということを明確に提示しないところもまた痺れます)それを楽曲に織り交ぜる塩梅も絶妙。いち楽曲としてもかっこいいし、ファンとしての目線で見てもまた楽しい。曲作りにおけるエンタメ的なセンス、というとヤスくんや横山さんを思い浮かべていましたが、亮ちゃんのエンタメ総合力、えげつないでしかし!ってもうそれくらい惚れ惚れしてます。Tokyoholicをありがとう。本当にありがとう。関ジャニ∞がこういう曲を歌う日を待っていた。

 

天は二物を与えずと言いますが、二物も三物も、582物くらい与えてんじゃないかなっていう錦戸さんですけれども、与えられてないもの、の部分すら魅力になっているんですよね。「上手な食レポ能力」とか「上手な曲紹介」とか「成犬感」とか…いやそれは後天的なものか。むしろそれも与えられているものなのか。いやいや、そもそも、与えられている、というだけで済ませたくないなって思うのは、「天才」でも「秀才」でもないジャンルに錦戸さんがいるなあって感じるからかもしれません。(と言いながら口癖のように「天才かよ!」って言ってますけども…)手に入れたいものを手に入れる力、手に入れるために何をすればいいか、と、手に入れた後どうするか、そういうところまで頭と感覚が回る亮ちゃん、やっぱり、天才っていうか秀才っていうか、すごい人。

 

表にばばーん!と立つ姿も、クリエイティブとプロデュースの面でワクワクドキドキするものを提供してくれることも、これからも心から期待して楽しみにしています。

すごいぜ、錦戸亮

お誕生日、おめでとうございます!

かわいい

すばるさん、36歳のお誕生日おめでとうございます。

エイターテイメントジャムツアーでは、渋谷さんの左斜め下のアングル流し目にひたすらヒイヒイでした。伝家の宝刀…狙い定めて、自分の意思で、刀を抜かれるようになられた渋谷さんというそういうことをマルっと含めてもうひたすらヒイヒイです。キメ顔の後恥ずかしそうにはにかむのが最高に可愛いです。可愛いです。ヤスくんが、渋谷さんのことを、どこか「かわいいひと」と思う感じ、なんとなくですがわかるような気がします。もちろんかわいいという言葉だけで形容できるわけではありませんが、なんだか、かわいいし、かわいいなあ、ってにこにこ見ていることに、こちらもナチュラルでいられるような、そんな近年です。

 

まっすぐな楽曲、すばるさんの作る曲にはいつもそういう印象があって、さらっと聞くのが難しい。それは、すばるさんの曲や詞が、強いメッセージを含んでいて、聞いているこちらも、そのたびに何かしらを考えざるをえないからだと、そう思っていました。でもなんか本当私は見誤っていたなというか誤解していたなというか、それに気がついたのもジャムツアーでのこと。オーラス、福岡、9月10日の「生きろ」でのこと。

その日までに二度、公演に入って演奏を聴いていたし、曲自体は何度も聞いていたのに、あのオーラスの「生きろ」を聞いていたら、染み出るように涙が出てきました。

強いメッセージ、心を揺さぶるメッセージ…そんな先入観をとっぱらって、関ジャニ∞の奏でる「生きろ」に包まれたら、なんというか…私は私のままで感じればいいし、そうやって音楽を聞けばいいし、曲の持つ詞の持つメッセージに揺さぶられて、動き出してもいいし、立ち止まったままでもいい。勝手に、自分で自分に、何かを感じ取らなければいけない、とか、そういう鎖を巻いていたんだということに気づいて、いつからそうだったのか、知れないけれど、ようやっと自分の手でその鎖を外せた、ように思いました。あなたのままで聞けばいい。きっとずっと、そうだったのにね。

そうやって、私のままで聞いた「生きろ」は、私の中にあるいろんな感情を手のひらで掬い上げてくれるみたいな感覚がしました。とても大好きな曲になりました。すばるさん、ありがとう。

 

細い体躯に大きな瞳で力強く歌う、そんな渋谷さんはずっと、なにか伝説の生き物のような風に感じていたけれど、今でもきっとそんな感じ方もするけれど、冒頭で書いたような感じ方もできるようになってきたのは、あなたが見せてくれる「人間くささ」が、物語の中の人間くささじゃなくて、もっと、日常的で、そういうの、惜しげもなくというか、当たり前のように、ぽん、と隣に置いてくれるようなその感じ、その感じがあるからだと思います。(ち、ちっとも日本語にできない…!!!)

 

関ジャムのとあるセッションについて、ヤスがハモりで入ってきてくれたとき安心した、と語ったすばるさんに、ありあまる感慨が爆発しました。二人の間にある、信頼、絆、二人だけにしか通じない感覚、面白さと愛おしさ。お互いに、才能だけじゃなく、まるっと、まるまるっと「かわいい生き物」と思い合っているその、やすばを、やすばはもうきっとどこにもいかないしどこにも消えないし、そう思わせていてくれてありがとうって思います…形にこだわりすぎるワタシタチを、形から解放して、それでも今でも、むしろ今の方が、自然にある形にならないものを自然に感じられて、嬉しいので、どうしてくださいこうしてくださいなんてことはないので、そっと感じさせて、そっと見続けさせてもらえればいいなあって思ってます。やすばが大好きっていう話をしています。

 

その一歩一歩が力強く、だけど重々しいだけでない軽やかさすら感じさせて、その肩の力の抜け加減、関ジャニ∞のこれからに希望を見ながらも、凝り固まらずにいられるし、逆に緩みすぎずにもいられるのはそういう風に渋谷さんがいてくれるから。かわいいひとで、すごい人間。やっぱり、人間で、そうして伝説の生き物でもいいのかもしれない。

お体に気を付けて。お誕生日、おめでとうございます。

13

関ジャニ∞ 全国デビュー13周年、おめでとうございます!

今、テレビやラジオや雑誌で、毎日のように関ジャニ∞の姿を感じられること、ライブに行って心から楽しい時間を過ごせること、本当に幸せに思っています。ありがとう。

 

この一年、職場の人から「関ジャムおもしろいね!」と言ってもらえることが多くなってきました。番組の内容も面白いし、関ジャニ∞とのセッションもいい、と、毎週のように伝えてくれる方もいます。私は「ありがとうございます」と答えて、とても誇らしい気持ちになります。私も関ジャムを楽しんでいるし、そして、関ジャニ∞はとてもかっこよくて、魅力の溢れるグループだと思うからです。

2年前までは、メンバー何人かしか知らない、とか、一つのツアーで複数公演入ることに(もしくは遠征をすることに)驚かれるとか、「そんな高い理想持ってないでさっさと彼氏作りなよ」と言われたりとか(実際の、好みのタイプの話なんてまったくしていないのにね!)、あとは事務所全体のゴシップ的なものが騒がれているとそれについて聞かれるとか、そんなことが多かったように思います。(かっこいいよね!とか、あの曲が好き!と言ってくれるかたももちろん少なからずいました。)

私は、ファンとして、CDやDVDや雑誌を買って、聞いたり見たり読んだりして楽しんだり、あとはライブや舞台に行ったり、好き!という気持ちをツイッターやブログに書いたり、同じファンの人たちとそういう気持ちを共有したり、そんな風に過ごしていて、職場の人みたいな、ファンの”外”の人たちに対して、何か積極的な働きかけをしていたわけではなくて。ただ、関ジャニ∞にマイナスなイメージを持たれないように、過ごそうと思ったり、例えばライブのために休みをとる分、仕事を早めに多めにやったりとかその程度で。だから、本当に、本当に自分たちの力で、ファン”外”の人たち、お茶の間、の認識をそういった風に変えてきた、そんな関ジャニ∞がかっこよくて、誇らしいな(というのはなんか偉そうですが)と思ったのです。

 

日常に、関ジャニ∞があって、楽しい時の喜びを倍増させてくれて、苦しい時、しんどい時、その重みを和らげてくれています。アイドルの、発信するものが、自分の全てを救ってくれる、と、苦しみを全て無くしてくれる、と、そうは思っていません。発信してくれるものを、受信して、どんな形で自分の中に置くのか、それは自分次第であって、だから私は、関ジャニ∞を好きだ、という気持ちを、お薬みたいに使っている今です。好き、という気持ちが、どれほど自分にとって大事なものなのか、痛感しているから、その気持ちを、心の大事なところに置いておきたいなと思います。その存在に、ジェネリック、は、ないんだよなあ。

 

関ジャニ∞の皆さんが、これから健康で、楽しく、実りある日々を過ごせることを祈っています。そして、これからの関ジャニ∞も、楽しみにしています!

いつもありがとう!だいすきです!

幸せの青い鳥

安田章大さん、33歳のお誕生日おめでとうございます!

いつもたくさんの幸せをありがとう。

昨日、福岡で、数年ぶりに作ったうちわに、32年間のヤスくんへの感謝を書いて、それで、その気持ちがああ、本当にそうなんだよ、今まで生きてきたヤスくんにありがとうなんだよ、と、そういう思いでうちわを抱いてライブを見られたことに、とっても嬉しくなりました。私にとっての昨日の9月10日というのはとても幸せな気持ちをくれる記号でした。

いつも、ヤスくんのウインクひとつで、投げキスひとつで、いとも簡単に撃ち抜かれてしまう私は、今回のツアーこそは気を確かに持つのだ、と密かに思って向かったのですが、やっぱりいとも簡単に撃ち落とされていたので、もうこれからは、膝は砕けるものなんだって思って諦めようと思います。

だって、かっこいいんだもの。ヤスくんは、最高にかっこいいんだもの!目には見えないけど、あのウインクは、投げキッスは、舌なめずりは、実弾だよ!撃たれれば撃たれるほど胸に花が咲く実弾だよ!ハピネスハピネスハッピネス!

気持ちよさそうにギターを奏でる姿に嬉しくなるし、細胞総動員で表現をしようと動く体に、見惚れるし、吸い込まれるし、笑顔も、涙も、驚いた表情も、挑発するよな表情も、あったか~いもつめた~いも、激しいも穏やかも、ライブの最中だとか、思い出している最中だとか、そういうたくさんのヤスくんに、好きっ!好きっ!って、ぽっぽぽっぽと花が開く、これまた花が咲くんですよ、これがまた。これがいわゆる「自担に似る」ということなんでしょうかね。違うでしょうかね。違うでしょうね。

似てる、んじゃなくて、似てない、から惹かれるんだなあと思います。ヤスくんのことは、ファンになって何年目だろう、いまだに、というかますますとわからないです。ヤスくんの脳をぱっかりと割って見てみても、きっと私には何もわからないし、でもそこに広がる宇宙は見たこともない世界で、そう思うからヤスくんをずっと見ていたいと思うんだと、思います。

かと思えば、例えば「ヤス何言ってるの(笑)」という場面にはヤスくんの言わんとすることがすんなりとわかった(という感覚になった)り、ものすごく各々で解釈をして、受け止めようとするそれは、似てるとかじゃなくて安田担の慣習でしょうかね。それは誰担さんでも一緒なことか。でも、ヤスくんが表現しようとしていることが、伝わらずに切り捨てられたりしているのは、とてももどかしいからやっぱり、「わかる、わかるよ!伝わってるよ!」って、したくなるんです。よ、ね~。

 

舞台『俺節』、毎公演毎公演、その時間のすべて、海驢耕治の命を全うする姿に、何度でもどれだけでも心を揺さぶられました。コージの命を見て、コージの歌を聞いて、それでも思い返してみれば、安田章大の体を通って出てくる歌が、震わせる空間に居られたことを幸せに感じていました。大千穐楽で、袖からひょこっと出てきて、張り上げた声で安田章大の言葉を聞かせてくれた時に、とてもホッとしたのを覚えています。コージとヤスくん、コージを見ているつもりでヤスくんが混じり合っていたのかもしれない、でもなんだか、やっぱり舞台の上のヤスくんはコージだったんだな…とそんな風に感じていたから。あそこで安田章大を見せてくれたことは、お客さん、としてではなくてファンとしてありがたいことでした。

何書いてるのかわからなくなってきた…っていうのは毎年書くのでもう割愛してもいいような気がしますがやっぱり今年もわからなくなってきたので書いときます。迷走しないと気が済まないらしい。

 

俺節俺節でね、初めてヤスくんにファンレターを書きましたよ。舞台のことだけを、なるべく簡潔に、丁寧に、おかしくならないように…。観劇のたびにおてがみBOXに手紙を入れる、あの瞬間の緊張ったら。下書きをして、字を間違えるたびに便箋をぐしゃぐしゃと丸めて、何度も書き直して、たくさんの「安田章大さま」宛の手紙の中に自分の手紙を紛れ込ませるのがもう、ドキドキで、ああ出してしまった、おかしなことは書いていないだろうか、字は綺麗に書けただろうか、って毎度後悔みたいな高揚してた。届いたか届いてないか、目に入ったのかどうかはわからないけど、思いを伝え(ようとす)るというのもいいもんだな、なんて思ったりもしました。俺節がもたらしてくれたものの番外編でした。

 

そう、そうそう。俺節ではヤスくんの体を通って放たれる歌声が震わせる空間にいることが幸せと感じたように、ライブの時にはヤスくんの弾いたギターに震える空気に肌が触れることがそれだなとあらためて思いました。なんだか思い込みの激しい人みたい。私が。実際そうなのでしかたがない。

 

今は、ヤスくんの作曲した曲をプレイリストにして、聞きながらこれを書いています。ヤスくんプレイリスト、名づけてYASUDISC(センス)を作りたいなあと前々から思っていて、いや、プレイリストにするはするんですけど毎年、あまりにも曲の色も質感も幅が広すぎて、うまいこと順番にしてまとまりのあるものにしようってしたら難しすぎて、また今年も挫折ののち、ソロとか共作相手とかでまとめて並べたんですけれど、まあほんとうにテーマパーク。あちこちのぞく世界がどこもかしこも魅力的で、楽しくて。

初めて聞いた時にはびっくりすることも多いのです。一度では受け止めきれず、びっくり高揚するうちに曲が終わってしまって、聞けば聞くほどはまっていってしまうのです。これもまた、わかりきることなんてできない安田章大の宇宙!でもそこには論理的な何かが隠されているのかもしれない!わからないけど!そこにミックスされる、感覚的なものの配分が、安田章大の宇宙!

これからも非常に楽しみにしています。「義務になったらもうやめたほうがいい」という言葉が頼もしいです。宇宙の片鱗を、これからも存分に見せつけてほしいです。

それと同時に、ヤスくんの歌唱もいつだっていつだって大注目していますよ!曲の中の歌声をはじめとする様々な表現…と話しはじめればまた長くなってしまうのですが…今回は…端的にいえば…わたし鏡やアイスクリームの歌い出しに、今でも胸が高鳴り、鼓動が揺れるように、「ん~まっ♡」に関してはこの先もきっとずっと、腰を砕かれ続けるんだろうなって思ったということです。いつでも開いてときめきの湧き出す宝箱をいただいた、そんな心持ちで御座います。

 

音楽番組で初めて、『今』を歌うヤスくんを見て、ああ、幸せの青い鳥だ!と思いました。ファンとアイドル。関係性を問われて、ファンとアイドル。それ以上でも以下でもないと説明してしまえばそれまでだけど、でも、青い鳥、という表現は私にとってとてもしっくりとくるものでした。ヤスくんの姿を見たり、ヤスくんの生み出したものに触れて、色んな感覚や感情が生まれます。そんな中で、そのすべてがすべて、綺麗で温かなものだとは限らないにしても、やっぱりそこで、ああ、これって、幸せだ、ということに気がつくんです。

辛い時、苦しい時、悲しい時、ヤスくんの笑顔に元気をもらいます。楽しい時、嬉しい時、そこにヤスくんが関わっているともっともっと高揚した気持ちになります。すぐに卑屈で否定的になってしまう私にとって、それはとてもとても、とても大きな力です。だから、そんな風に、思ったり、感じたり、気づかせたり、してくれるヤスくんに、いつもたくさん、たくさんたくさん感謝しています。

 

あんまりいろんなことを願っても神様…的な…ところに届かないかもしれないので、今年はとにかく、ヤスくんが健康でありますようにってお願いしています。痛いとか、身体が辛いとか、そういうのが少しでも少なくありますように…!

ヤスくん、お誕生日おめでとうございます!大好きです!