渋谷すばるさん、お誕生日おめでとうございます。
生まれてきてくれてありがとう。
ここに来る前に書いていたブログでは、誕生祝いの記事を書くときは必ず「アイドルとして輝き続けてくれてありがとう」的な文言を添えていたのですが、いつからからそれがなくなって。味園ユニバースと、ソロツアーが終わったあたりかな?たぶん、その頃に、ようやく安心をし始めたんだと思います。
すばるさんは、これからもずっと、関ジャニ∞でいるんだ、アイドルでいつづけてくれるんだ、という安心。
そんな安心の中でぬくぬくと過ごしてきて、だけど、永遠なんてないんだ、と思い知らされる出来事に直面することがだんだんと増えてきて、それでも、関ジャニ∞が関ジャニ∞でいてくれるなら大丈夫、と思っていた。
今もどう受け止めればいいか、自分の中での気持ちの置き場所を決めあぐねているし、もしかしたらこれからもずっとそうなのかもしれないけれど。
すばるさんはやっぱり、絶対的な存在だった。
すばるさんの歌声は、変えたり埋め合わせたりできるようなものじゃなかった。
今回のツアーに参加して、ステージの上に立つ6人はとても輝いていて、ほんとうに、発光してるんじゃないかな?って思うくらいキラキラしていて、
それは私が初めて関ジャニ∞のライブに行った時に抱いたのと同じ感覚だった。
歌が始まって、違和感、という言葉とはまた感触が違うけれど、あれっ、すばるさんがいない、あれっ、あれっ、って思いながら時間が進んでいって、演奏する歌う6人はとてもかっこよくて、楽しくて、どう処理していいかわからない感情を抱えて、LIFE~目の前の向こうへ~、の歌い出し、やすくんの歌声が聞こえた時に、ああ、すばるさんはいなくなったんだ、ということをやっと理解した。6人そろって歌い出す大阪ロマネスク、最高に胸に沁みた。それが、ファンに対する彼らの答えのように感じた。そして、ここに、を聞いて、改めて関ジャニ∞を好きになった。涙もたくさん流したけれど、最後は笑顔だった。笑顔で、ありがとうって気持ちでいっぱいになった。すばるさんを好きなことと、新しい関ジャニ∞を好きな気持ちは、別の世界線じゃなくて、同じ地平線にあるものだと思った。
そんなこんなで、いや、全然、どうすればいいかわからないままだけれど。
(そして大倉くんもきっとそうなんだろうなと思うし、そのことで安心もした)
過去にもできないけれど。渋谷すばるという人に出会う人生と出会わない人生があるなら、やっぱり、出会う人生がいいし、出会えてよかった。
ロケットペンダントみたいにそっといつも胸にしまって、いつでも握りしめることのできるような場所に、置いておきたいなって思う、すばるさんの見せてくれた景色を。
そして、関ジャニ∞を続ける道を選んだ関ジャニ∞に、心から感謝をしています。
個人的に、今年は本当にヘビーで、自分の周りでいろんなことが起こって、次から次へとしんどい、が積み重なっていくような年で。
もし、今、今年、関ジャニ∞を失っていたら、私はどうなっていたんだろうと思う。
恋人でもない、家族でもない、友人でもない、遠くにいる人たちを好きになって、心の活力にして、日々のエネルギーにして、生きていくというのは、なんとも不思議な現象だなあと思う。好きになった時からずっと、思っている。いまだになんでだかわからないから面白い。何でも理屈で解剖したがる理屈人間だから、「好きに理由がいらない!」の真っただ中に自分がいることが面白いし、好きっていう気持ちはすげえなあと思う。
永遠なんてない。
生きていく間に出会う、ほとんどのものが有限だ。
だけど、心だとか、気持ちだけが、もしかしたら唯一、永遠で、無限になりうる可能性を持っているのかもしれない。
モノみたいにわかりやすく、どうやったら失うか、どうやったら壊れるか、わからないもの。逆に、思いがけない瞬間に壊れたり歪んだりする、予測のつかない不安定なものでもあるけれど。
永遠になれる可能性、無限である可能性を持っているなんて、すごいじゃないか。そう思うと、ワクワクして、嬉しい気持ちになってくる。(単純!)
有限の世界を、永遠なんてない世界を、好き、の気持ちをぎゅっと抱きしめて渡っていきたいね、
願わくば関ジャニ∞と共に
お互いが大丈夫な時も、大丈夫でない時も。
いつもありがとう。
大好きです。
今でも毎日、深夜に高速道路の映像を流している番組を付けて眠りについています。
これは4月15日より前からの習慣だけれど、今でも、毎日。
その時に、すばるさんのことが頭をよぎります。
四六時中考えているわけではないけれど、そんな風に、一日の終わりに考える時間があって、
今はもう、切なくなんかないです。
強がってんのかな?わかんないけど。
すばるさんに出会えたことを、幸せに思います。
元気で、幸せで、生きていてください。