安田くんは、「表現の人」だとずっと思ってきた。
それを改めて感じた今日の関ジャム、「Sailing my life」だった。
歌詞が安田くんの乗り越えてきたもの、背負っている景色にリンクしているのももちろん、ある、私はそういう眼鏡を知らず知らずにかけて安田くんを見てしまっている。
けれど、決してそれだけじゃない。
安田くんが歌うことで言葉に、歌に命が宿るように聞こえた。
それは、たぶん、たぶんだけど。彼がこの歌をいちど自分のなかに取り込んで、自分の頭と心で濾過してから、歌声にして奏でているからなんだろうと感じる。
安田くんは、表現することを恐れない。
自分の中から湧き上がるものや、楽曲を通して見えている景色を、歌声や、ダンスや、指先の一本、語尾の響かせ方のひとつでも表現しようとする。そういう面に対して、どこまでも貪欲だ。だから、時に彼が彼自身の体を楽器や道具として使っているように見えることすらある。安田章大という容れ物を、安田章大という人格がつかさどっているのだなあ…なんてことを感じる。
自分の思うように信じるように、表現することは、とても怖いことだと私は思う。
全身全霊をかけたものを、否定されたり笑われたりしたら、本気の分だけ傷ついてしまう。
安田くんはそれを恐れない。痛みを感じないわけじゃない。きっと、それよりもっとずっと大事なものが、彼の目には見えている。
安田くんは、優しい人だ、と言われる。
メンバーを始め、共演者や監督、スタッフ…各所から上がる声のほとんどが、彼を「優しい」と評する。ステージの上やテレビの向こう、または文章やインタビューを通して遠くにいる私にさえ、優しい人だ、と感じさせる。
優しい人、というのは、理性のある人だ、と思う。
それがこちらが抱いている勝手な印象だったとしても、
そんな安田くんが、自分の世界に没頭し、または見えている世界を周りにも見えるように広げようとしているとき、
そうやって、のびのびと表現をしているとき、
その姿は、とても神々しいものに見える。
これは全く別の関係ない番組の話だけれど、音楽プロデューサーの後藤次利さんが、駆け出しの女性アイドルたちにかけていた言葉がふと頭をよぎった。
「今後ずっとこの道を進むとしたら、絶対平坦な道なんかない、絶対壁にぶつかることがあると思うんだけど、音楽や歌の力と、自分がそれを表現できるポジションにいるんだという喜びを忘れなければ、僕は絶対乗り越えられるし支えになると思う」
安田くんは、その喜びをずっと大事に抱きしめてきたんだろうなあ、と思う。
抱きしめて、使って、磨いて、どこまでも純粋に、貪欲に。
そんな安田くんは、自分で評したように「憑依型」で、音楽の喜び、表現の喜びや苦しみを全身で感じている、理性を備えた芸術家タイプ、という風に見えるし、
逆に錦戸くんはその対極にいるように感じる。
錦戸くんもまた理性の人で、だけど理性と情熱とを同じだけ兼ね備えていて、
だからこそかなり大きな枠や俯瞰的な視点でステージに立てる人なのだと思う。
言い方が難しいけれど…
安田くんと対になる表現をするとしたら、鋭い感性と情熱を抱いたプロデューサータイプ、とでも言ったらいいのか…無理にうまいこといわなくてもいいのに…
そういった、なんというか、似ているのに対極、のような二人が歌う姿が、とても最高だったのです。
だから補い合えるし、ハーモニーが生まれる。
すばるさんは、どちらの要素も兼ね備えていた人。
その血を受け継いだ…というよりも、二人の持っていたそれぞれの面が際立って感じられたようなセッションだった。
関ジャニ∞は面白い。
それぞれが持つ個性が、とても刺激的に絡み合い、美しさや楽しさを生み出す。
そしてその絡ませ方を本人たちがコントロールしているというより、自然に生まれていく感じがするから、ドラマティックで心を揺さぶられる。
ここに丸山さんが加わって三人がフロントに立って歌ったり、逆に大倉くんや横山さん、村上さんが前面に出て歌ったり、全員でハーモニーを奏でたり。
絡まり方によって、それこそ「無限大」の可能性と個性をまた生み出すことができる。それだけの力をメンバーのひとりひとりが持っているから。
だからほんと最高だね!っていういつもの結論に辿り着くのでした…
やすくんが天使なのは、可愛くて優しいからだけじゃないんだぞ!その背中に広がる光を見てくれよな!!!