やすばすく

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かわいい

すばるさん、36歳のお誕生日おめでとうございます。

エイターテイメントジャムツアーでは、渋谷さんの左斜め下のアングル流し目にひたすらヒイヒイでした。伝家の宝刀…狙い定めて、自分の意思で、刀を抜かれるようになられた渋谷さんというそういうことをマルっと含めてもうひたすらヒイヒイです。キメ顔の後恥ずかしそうにはにかむのが最高に可愛いです。可愛いです。ヤスくんが、渋谷さんのことを、どこか「かわいいひと」と思う感じ、なんとなくですがわかるような気がします。もちろんかわいいという言葉だけで形容できるわけではありませんが、なんだか、かわいいし、かわいいなあ、ってにこにこ見ていることに、こちらもナチュラルでいられるような、そんな近年です。

 

まっすぐな楽曲、すばるさんの作る曲にはいつもそういう印象があって、さらっと聞くのが難しい。それは、すばるさんの曲や詞が、強いメッセージを含んでいて、聞いているこちらも、そのたびに何かしらを考えざるをえないからだと、そう思っていました。でもなんか本当私は見誤っていたなというか誤解していたなというか、それに気がついたのもジャムツアーでのこと。オーラス、福岡、9月10日の「生きろ」でのこと。

その日までに二度、公演に入って演奏を聴いていたし、曲自体は何度も聞いていたのに、あのオーラスの「生きろ」を聞いていたら、染み出るように涙が出てきました。

強いメッセージ、心を揺さぶるメッセージ…そんな先入観をとっぱらって、関ジャニ∞の奏でる「生きろ」に包まれたら、なんというか…私は私のままで感じればいいし、そうやって音楽を聞けばいいし、曲の持つ詞の持つメッセージに揺さぶられて、動き出してもいいし、立ち止まったままでもいい。勝手に、自分で自分に、何かを感じ取らなければいけない、とか、そういう鎖を巻いていたんだということに気づいて、いつからそうだったのか、知れないけれど、ようやっと自分の手でその鎖を外せた、ように思いました。あなたのままで聞けばいい。きっとずっと、そうだったのにね。

そうやって、私のままで聞いた「生きろ」は、私の中にあるいろんな感情を手のひらで掬い上げてくれるみたいな感覚がしました。とても大好きな曲になりました。すばるさん、ありがとう。

 

細い体躯に大きな瞳で力強く歌う、そんな渋谷さんはずっと、なにか伝説の生き物のような風に感じていたけれど、今でもきっとそんな感じ方もするけれど、冒頭で書いたような感じ方もできるようになってきたのは、あなたが見せてくれる「人間くささ」が、物語の中の人間くささじゃなくて、もっと、日常的で、そういうの、惜しげもなくというか、当たり前のように、ぽん、と隣に置いてくれるようなその感じ、その感じがあるからだと思います。(ち、ちっとも日本語にできない…!!!)

 

関ジャムのとあるセッションについて、ヤスがハモりで入ってきてくれたとき安心した、と語ったすばるさんに、ありあまる感慨が爆発しました。二人の間にある、信頼、絆、二人だけにしか通じない感覚、面白さと愛おしさ。お互いに、才能だけじゃなく、まるっと、まるまるっと「かわいい生き物」と思い合っているその、やすばを、やすばはもうきっとどこにもいかないしどこにも消えないし、そう思わせていてくれてありがとうって思います…形にこだわりすぎるワタシタチを、形から解放して、それでも今でも、むしろ今の方が、自然にある形にならないものを自然に感じられて、嬉しいので、どうしてくださいこうしてくださいなんてことはないので、そっと感じさせて、そっと見続けさせてもらえればいいなあって思ってます。やすばが大好きっていう話をしています。

 

その一歩一歩が力強く、だけど重々しいだけでない軽やかさすら感じさせて、その肩の力の抜け加減、関ジャニ∞のこれからに希望を見ながらも、凝り固まらずにいられるし、逆に緩みすぎずにもいられるのはそういう風に渋谷さんがいてくれるから。かわいいひとで、すごい人間。やっぱり、人間で、そうして伝説の生き物でもいいのかもしれない。

お体に気を付けて。お誕生日、おめでとうございます。