やすばすく

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20180416

昨日のブログを書いた後、会見の映像や、記事や、7人の言葉を読んで、見ました。

悲しくて悲しくて、ひたすら悲しみに包まれていたのに、7人の言葉と、話す姿を見ていたら、大好きだ、大好きという気持ちが、悲しさすら包んでしまうくらいに溢れ出しました。

関ジャニ∞のことを愛している関ジャニ∞が、大好きだ、と思いました。

関ジャニ∞のことを、関ジャニ∞が、愛しているということを、感じられてよかった。

会見を見て、あらためて、大倉くんの、そこに嘘はありませんでした、という言葉に救われました。

信じられない、というよりは、渋谷すばるのいる関ジャニ∞、という世界から違う世界に来たような感覚がしています。

いや、まだその境界線の上をぐらぐらと渡っている感じ。まだ、よくわからない。

 

一日経つと気持ちが変化してくるもので、今日一日を過ごして今は、悔しさがどんどん募っています。

誰が何をどうすれば違う未来があったのか、なんて考えてみても、誰が何をどうしていたとしても今、この現実があることを変えることはできない。できないんだ、って思いながら、ああ、これじゃあこの現実を、その先に待っている未来を否定しているみたいだな、って思いながら、でも、7人の関ジャニ∞をずっと見ていたかったから、今はそんな風に思ってしまうよな、それはしょうがないよな、しょうがない、と思います。

私の夢は、関ジャニ∞の7人が、いつまでもずっと、7人で楽しく輝く姿を見ていることでした。

夢、という言葉は、こんなにも力強さがあるのに、こんなにつかみどころのない言葉もないよな、と思います。

「それを止める権利は誰にもないのかもしれません」という大倉くんの言葉と思いに、強く強く共感しました。

権利を、意思を、尊重したい。大事な存在だからこそ、その人の想いを大事にしたい。大事な存在だから、ずっと一緒にいてほしかった。どちらの想いも同じくらいあって、そこに正しいも間違いもない。

 

ツイッターを見たらいろんな人の感情に飲み込まれてしまいそうな気がしていたけれど、3時間ひたすら自分の中で噛みしめて、それでやっぱりひとりで抱えきれなくて覗いてみたら、そこにはそれぞれの人の、形や言葉は違うけど、それぞれの愛が溢れていて、ああ、悲しみを分け合うというのはこういうことなんだな、って思った。一人暮らしで、周りにすぐに会える人もいない身には、そういう場所があることがありがたかった。

 

その日の夜にはもう、関ジャムの放送があって、でも、とても普通に、いつもどおりに、楽しく見られて驚きました。でも、次週予告が終わったくらいに、一回の放送の重みがずしんとのしかかってきた。この日がこなければいいのに、と、ツアーの初日に私たちもあらためて思うのだろうか。それとも、気持ちはどんどんと変化していくんだろうか。

発表の後から、ほとんど絶え間なく、関ジャニ∞の曲を聴いたり、番組を見たり、ライブDVDやMVやメイキングを見ています。実際に再生していない時にもずっと、関ジャニ∞の曲が頭の中を流れています。それが途切れると寂しさに襲われてしまうから、ずっと関ジャニ∞に触れていることで、ずっと関ジャニ∞で満たしていることで、安心ができているような感じがします。縋っているのか、沁み込ませているのか、隙間を埋めようとしているのか、わからないけど、今は全部を、7人の関ジャニ∞で満たしていたい。

私にとっては十年間。毎日傍にあって、辛い時悲しい時、苦しい時、楽しい時幸せな時、傍に寄り添ってくれていた、日々を生きる励みになってくれていた関ジャニ∞の曲の、真ん中にあったすばるさんの歌声が、これからの関ジャニ∞の曲には存在しなくなってしまうのか、と思うとひたすらに悲しいのだけれど。ひたすら、これまでの関ジャニ∞の曲を聞いていると、もう、ほんとうに、素晴らしい曲と歌声がたくさんあって、改めていい曲だな、いい声だな、いいグループだな!っていうのをつくづく再認識させられるし、この楽曲の数々に、関ジャニ∞の歌声に渋谷すばるの声があったこと、渋谷すばるの声が真ん中にある関ジャニ∞の歌声で、こんなにたくさんの歌を聞いてこられたことを、本当に幸せだなと思います。…だからこれからも、って、エンドレスにループしちゃうんですけれど。

どの歌を聞いてみても、驚くほどに、すばるさんへの想いに重なる部分があって、現実を突きつけられるようでも、励まされているようでもあって、とても不思議な感覚です。そういうのもふくめて、関ジャニ∞は、いい曲、たくさんたくさん歌ってきたんだなって感じます。関ジャニ∞いいなあって思います。

 

そう、どこをどう切り取って、そこからどんなふうに想いが展開していっても、その先に「関ジャニ∞っていいなあ、好きだなあ」っていう想いに辿り着くんですよね。悲しいのも、悔しいのも、最後に「好き」に繋がってしまってどうしようもない。それが大きな救いでもある。「どうして」も「いやだ」も、薄れることがあるのかわからないし、それはもう解決も解消もされないことなんだろうと思うけれど、最後に好き、に辿り着いてくれることに、辿り着かせてくれる関ジャニ∞に、救われる。

 

今日は仕事が忙しかった。人と関わることはうまくできそうになかったので必要最低限以外は避けてしまったけれど、仕事はちゃんとした。友達からのラインに今の気持ちを書いて返せたから、もし職場で誰かに何かを言われてもうまく返せると思っていたけど、実際はうまく言葉が出なくてだめだった。夜にも、帰ってきてからも、眠ることはできた。いつもは深夜の高速道路の映像を見ながら寝ているけれど、昨日からは関ジャニ∞の曲を聞きながら寝ている。食欲は湧かないけどお腹は空くし、でも食べたら気持ち悪くなってしまうから、気づいた時に少しずつ食べるようにしてみた。お風呂に入れる。関ジャニ∞のライブ映像を見ながら好きだなあと思う。自分はこういう時、案外普通にいつも通りの生活を送れるタイプじゃないかなと思っていたけど思い違いだった。明日からの私の課題は、日常生活をちゃんと送ることだ。だけど、日常を立て直すのには、気持ちを立て直すのには、そこには関ジャニ∞が必要なんだ。食欲や睡眠欲で満たせないもの。自分が心のどれだけの部分を関ジャニ∞で支えてきたのか、気づいていなかった。私の中の関ジャニ∞の場所を、他のものでは埋めたくない。だからこそ今、抱きしめていたい、こんな気分だって。