やすばすく

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20180425

「わたし鏡」と「DESIRE」は、私にとってとても重要な曲だ。私はまだ、この二つを生では聞いたことがない。一番生で聞きたくて、一番生で聞いてしまうのが怖い曲だ。(一番、って二曲あるけど)

関ジャニ∞の歌声は、耳障りの良いもの!という感じではないんだよな、時にBGMにするのが難しいくらい、いろんな主張や表現や個性がある。(聞きづらい、という意味でなくて!)だからなんか引っかかって興味を持ってしまう。本能だけでマイクにかぶりついているようにみえて実戦的に積み重ねてきた技術が詰まっているすばるさんと、テクニックの塊のように見えて感情やストーリーに身を委ねて所謂”憑依”するやすくん。これからもDESIREは変わることなく大切な、大切な、大切な一曲であり続けるんだと思う。分からないことだらけの中でなんかこれだけは確信している。

 

もうすぐ4月が終わる。ふと、関ジャニ∞から思考が離れる時もあって、もちろん、そうやって今日常生活を送っているけれど、一日の最後に、ああ、今日も終わってしまった、と今まで以上に思う。今までとこれから、7月もしくは12月より後、には、同じものを見て聞いていても、感じ方が違ってしまうんじゃないかと思う。だから、今、逃避してしまうことが怖い。後悔するんじゃないかと思うから。今、リアルタイムのものじゃなくて、例えば過去のライブDVDを見て、感じるものを、今たくさん感じていたい。…でもそう思う自分ってもう受け入れているのかなあ、とか、なんかそれも苦しくて抵抗したい気持ちになったりして。考えていることは全くまとまらないけど、とにかく、今浴びるように関ジャニ∞を摂取したいなあと思って、そのくせ仕事で疲れて帰ってきたらすぐ寝ちゃって、とかいうのがもどかしいんです。でもな、日常を、一番に頑張らなきゃいけないんだな、生きてるからなあ。

 

私はアイドルに夢を見ている。アイドルに希望を託している。ときめきを覚えることも、戦友のように感じることもある。それは傍から見たら完全に一方的なものであって、こちらからの思い入れ以外に他ならない。向こうがファンをどう思っているかなんて、本当のところはわからない。というか、他の人間が考えていることなんて、腹の底なんて、どれだけ言葉を尽くしても本人以外にはわかりようがない。「完全に理解する」なんて、脳みそが溶け合わない限り無理だと思う。

それでも、アイドルの放つ言葉を、信じてみる。彼らが見せたいと思う姿を、見つめたいと思う。夢を見せてくれるから。希望を持たせてくれるから。自分以外の人間を、そうした輝きをもって見つめられることが、それが遠い存在であるからこそ自分の日常を生きていくうえで励みになる。そうやって、ワクワクしたり、ドキドキしたり、喜びや幸せを感じるために、私はアイドルを見ている。

ずっと平和に応援していたいなあ、できる限りショックな出来事は起こってほしくないなあ、笑っていてほしいなあ、それを見て私も笑っていたいなあ、と思う。それはずっと、いつでも思っていることで、だけど完璧にその願いが叶えられることが少ないこともたぶん、頭の隅の方あたりではわかっている。平和に、平穏に、そう思うのは、自分自身のためでもあるし、たくさんの幸せをくれる彼らに不幸なことは起こってほしくないし、不幸とはなんぞや、その人にとっての不幸とは、とか考え出すとまあもう終わらないんですけども。アイドルとファン、アイドルを取り巻く世界が、温かく幸せなものであってほしい、と願うのは、生温くても綺麗ごとでもやっぱりそう思ってしまうのだ。大好きな人たちだから。他人だけど、遠く離れた存在だけど、大好きだと思える人たちがいることは幸せだ。ずっと大好きでいさせてね、楽しく応援させてね、と、思ってしまってごめんね。涙や悲しみに価値がないとは全く思わないけれど、笑っていたい。できるだけ長く、いっぱい、笑いたい。