やすばすく

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20180426

モンテクリスト伯の髭を見ていたらSweetParadeが見たくなったので見て、ああ、こうやっておじいさんになるまでの7人を見る未来とかあったんだろうか、とか思いそうになってブレーキをかける。SweetParade見たら今度は応答セヨが見たくなったので見て、ああ、すばるという星の名のもとに生まれたこの人が、とか、これが最後の、とか思いそうになってだめだだめだ、って頭を振る。そういうブレーキの掛け方がうまくなった。このことに関してというより、大人になるにつれてうまくなってきたのが今存分に発揮されてるなあと思う。途中で思考のレバーを引いて、ただただ画面のかっこいい人たちに見惚れる、みたいな、そんな今日だった。そんな日もある。4月が終わってしまう。滝のように流れ込んでくる連日のニュースやあれこれ、薄まったようで全く薄まらない。見ないふりしてるだけ。やっぱり見たい。見たい、7人でステージに立つ姿を見たい。肩を並べて歌う姿を見たい。今がだめなら、未来にそれを願ってもいいだろうか。未来に希望を持つことは、いけないことだろうか。それはすばるさんの、夢を応援することと矛盾してしまうだろうか。しないよ、しない、しないよって今無根拠にとてもそう思ってる、思いたい、みたいな、そんな今日だった。

20180425

「わたし鏡」と「DESIRE」は、私にとってとても重要な曲だ。私はまだ、この二つを生では聞いたことがない。一番生で聞きたくて、一番生で聞いてしまうのが怖い曲だ。(一番、って二曲あるけど)

関ジャニ∞の歌声は、耳障りの良いもの!という感じではないんだよな、時にBGMにするのが難しいくらい、いろんな主張や表現や個性がある。(聞きづらい、という意味でなくて!)だからなんか引っかかって興味を持ってしまう。本能だけでマイクにかぶりついているようにみえて実戦的に積み重ねてきた技術が詰まっているすばるさんと、テクニックの塊のように見えて感情やストーリーに身を委ねて所謂”憑依”するやすくん。これからもDESIREは変わることなく大切な、大切な、大切な一曲であり続けるんだと思う。分からないことだらけの中でなんかこれだけは確信している。

 

もうすぐ4月が終わる。ふと、関ジャニ∞から思考が離れる時もあって、もちろん、そうやって今日常生活を送っているけれど、一日の最後に、ああ、今日も終わってしまった、と今まで以上に思う。今までとこれから、7月もしくは12月より後、には、同じものを見て聞いていても、感じ方が違ってしまうんじゃないかと思う。だから、今、逃避してしまうことが怖い。後悔するんじゃないかと思うから。今、リアルタイムのものじゃなくて、例えば過去のライブDVDを見て、感じるものを、今たくさん感じていたい。…でもそう思う自分ってもう受け入れているのかなあ、とか、なんかそれも苦しくて抵抗したい気持ちになったりして。考えていることは全くまとまらないけど、とにかく、今浴びるように関ジャニ∞を摂取したいなあと思って、そのくせ仕事で疲れて帰ってきたらすぐ寝ちゃって、とかいうのがもどかしいんです。でもな、日常を、一番に頑張らなきゃいけないんだな、生きてるからなあ。

 

私はアイドルに夢を見ている。アイドルに希望を託している。ときめきを覚えることも、戦友のように感じることもある。それは傍から見たら完全に一方的なものであって、こちらからの思い入れ以外に他ならない。向こうがファンをどう思っているかなんて、本当のところはわからない。というか、他の人間が考えていることなんて、腹の底なんて、どれだけ言葉を尽くしても本人以外にはわかりようがない。「完全に理解する」なんて、脳みそが溶け合わない限り無理だと思う。

それでも、アイドルの放つ言葉を、信じてみる。彼らが見せたいと思う姿を、見つめたいと思う。夢を見せてくれるから。希望を持たせてくれるから。自分以外の人間を、そうした輝きをもって見つめられることが、それが遠い存在であるからこそ自分の日常を生きていくうえで励みになる。そうやって、ワクワクしたり、ドキドキしたり、喜びや幸せを感じるために、私はアイドルを見ている。

ずっと平和に応援していたいなあ、できる限りショックな出来事は起こってほしくないなあ、笑っていてほしいなあ、それを見て私も笑っていたいなあ、と思う。それはずっと、いつでも思っていることで、だけど完璧にその願いが叶えられることが少ないこともたぶん、頭の隅の方あたりではわかっている。平和に、平穏に、そう思うのは、自分自身のためでもあるし、たくさんの幸せをくれる彼らに不幸なことは起こってほしくないし、不幸とはなんぞや、その人にとっての不幸とは、とか考え出すとまあもう終わらないんですけども。アイドルとファン、アイドルを取り巻く世界が、温かく幸せなものであってほしい、と願うのは、生温くても綺麗ごとでもやっぱりそう思ってしまうのだ。大好きな人たちだから。他人だけど、遠く離れた存在だけど、大好きだと思える人たちがいることは幸せだ。ずっと大好きでいさせてね、楽しく応援させてね、と、思ってしまってごめんね。涙や悲しみに価値がないとは全く思わないけれど、笑っていたい。できるだけ長く、いっぱい、笑いたい。

20180424

すばるさんのソロ活動の時の歌をとても久しぶりに聞いた。エイト曲漬けだったにもかかわらず、シャッフルでかかると、何かが意識に上ってくる前に飛ばしてしまっていた。今日は聞いてみようと、思ったのはなんでだろう。昨日聞いた、ヤスくんのハピネスのおかげだろうか。

渋谷すばるという人が、これまでの人生を、ジャニーズ事務所で、アイドルとして、存在し続けてきたことが奇跡のように思えてきて。なぜそれができていたのか、ということを考えたら、それだけではないかもしれないけれど、「関ジャニ∞だったから」という言葉を信じたい。関ジャニ∞というグループが、関ジャニ∞を背負う彼らが、すばるさんに与えていたもの、受け取っていたもの、共に築いてきたもの、それぞれに絡み合う愛情と信頼、なんか、とてつもない。計り知れないそれを、絆、の一言で表すのもなんだか足りないような気がしてしまう。関ジャニ∞ってすげえな。すげえな~って思いながら、記憶を聞いていた。

この存在が、関ジャニ∞というアイドルグループに存在してきたんだよ、ずっと。すごいな、すごいよ、ああ、また悲しい

20180423

昨日の関ジャムのセッション、ハピネスを何回でも見ちゃう。何回でも聞いちゃう。安田くんは歌に表情を乗せるのが素晴らしく上手で、それプラス元来持っている安田くんのカラーと楽曲が最高にマッチしていることでぐんぐんと力が、優しさや幸せが広がるような気持ちになる。

歌の話ばかりにしているような気がするけれど、関ジャニ∞は本当に、歌に表情を乗せるのが上手い!と思う。丸ちゃんやヤスくんのように、歌の気持ちや情景を、芝居に近い形の技術や表現欲で歌声に乗せるタイプもいれば、横山さん村上さんのように、歌っている表情、歌うその人の姿が脳裏に浮かぶタイプもいる。色んな意味で歌がとても表情豊かなグループだと思う。切ないバラードでも、お祭りワッショイ曲でも、それが如何なく発揮されてるのがすごい。直近で言うとえげつないは大感動レベルだった。ラップバトルですよ、まず大倉くんはこれ以上ないほどの憎たらしい声!半笑いの表現力が半端ない!「小馬鹿にする」を完膚なきまでに体現してるのがすごい!ヤスくんは巻き舌の豪雨が高い声と相まって所謂「尼ヤン」感をキャリアのここで大爆発させているのがすごい!なぶられたい!!!!!すばるさんは飄々とした中で「なおらへんなぁ」の語尾の「なぁ?!」の部分で滑り上がる苛立ちが鳥肌モノ!横山さんは冷たさや怒りというよりなんかこう相手を憎み切れない温かさが出ちゃってるのがとても”らしさ”溢れてていい!(余談ですがRTで拝見したツアー中の言い間違い集での横山さん「下ネタもファー音でピーには届いてなく」は何度思い出しても吹き出しそうになるし面白いし横山さん本当素敵、嫌なこと一瞬吹き飛ばしてくれるのでもうほんとにすんごい大好きです)亮ちゃんの顎突き出してポケットに手を突っ込んでつっかかっていく海外エキス香り立つ攻め方と怒号(あれはもはや怒号)は絶品だしそれを受ける丸ちゃんの「…ヒヨゥ」の入り方が絶妙で毎度笑ってしまう、村上さんの肩をガッ!と抱いているに違いないフォローからの、仕舞いには愛情と絆への想いが溢れ出してビッグバン!!!という流れ…何のこと書いてるんだっけ…?そう、全員が全員、ものすご~~~~く表情を歌声でこちらの脳内に再現させるんですよ!!!しかも七者七様で!!!ラップバトルの部分はそれが顕著だから挙げたけどそういう表情の脳内再生が、関ジャニ∞の歌を聞いているとほんとにしょっちゅう。これは私が関ジャニ∞を好きで関ジャニ∞の歌う姿をいっぱい見ているからそう感じるのかな?とも思うんですが、それだけじゃないとも思うんですよね、だから、メロディーとかハーモニーとか、それだけじゃない楽しさや感動が関ジャニ∞の歌にはあるんですよ!!!ファー音でピー!!!(最高)

ああ本当最高。最高で最強、の名は伊達じゃないんすよ、関ジャニ∞、最高で最強なんですよ。って思っていた日でした。

20180422

今日はあれ以来初めてエイターさんと会って話ができて、みんなそれぞれに進んだり戻ったり、前を向いたり後ろを向いたり下を向いたり、それぞれにあるよね、思いもペースも別々だね、それでもそれぞれがそれぞれで乗り越えていくしかない中で、否定し合うことじゃなく励まし合ったり、それができなかったらいっそ目を瞑ったり、そういうふうにしてそれぞれを大事にしたいね、っていうことを思えたのが良かったです。

そしてそんな気持ちを、持っているメンバーもいるんだなっていうのは、とても嬉しいし心強いことだね。

 

ヤスくんの歌うハピネスが素晴らしかった。最高だった。いつまでも聞いていたい歌声だった。声の抑揚の付け方がここ数年で随分変わったヤスくん。ギターに、作曲に、ボーカルにコーラス、どれか一つだけじゃなくて、全部をブラッシュアップし続けるヤスくんの意志の強さを尊敬しています。心配になることも多いけれど、でもやっぱり、安田章大すげえな、って思うののほうが強い。強い、ってことはないか。どっちも大きい。

ハピネスを、ヤスくんが歌うことでもっともっとハピネスが広がっていくこの感じ、この人はこの歌に選ばれたんだなあ…ってそんな風に思う。それくらいヤスくんの歌になっていたなあ。最高だなあ。最高…

20180421

大倉くんの声が聞きたいなあ、と水曜日くらいから思っていて、それはあの声質とか話し方もあるんだけれど、大倉くんはファンの視線とアイドルの視線両方を持っている人だから、ファンと今の関ジャニ∞の架け橋になるような、そんな言葉を口にしてくれると思ったからだった。

会見からの一週間を終える土曜の夜、大倉くんはもがいていて、寂しかった、納得いかなかった、そんな自分の姿が子供に見えた、と語った。夢を抱くこと、夢を追う決断をすることを、かつての自分と重ね合わせて、すばるくんのことを一緒に応援してほしい、と口にした。同じ方向を向いて、共に歩んでいく存在、思い上がりだとしてもそう思われているように思えた。彼らにとってファンは、Eighterは。

何を話して、何を話すべきでないか。その判断はとてもとても、難しいものだと思う。どの言葉が誰をどれだけ傷つけるか。どんな憶測を呼ぶか。自分の中にだけ閉っておきたいものはなにか。共有したいものはなにか。

だけど、あの日以来語られる彼らの言葉に、表情に、悩み迷う部分や意識的な振る舞いの姿はあれど、嘘やごまかしは感じなかった。そのことが、どんな言葉を選ぶか、どんな話をするか、ということ以上に、誠実さと信頼感を与えてくれていると思う。いや、どんな言葉を口にするか、は、とても大事なんだけれども。ここまでファンに、メンバーに、真正面から向き合ってくれるものなのか、と驚いてしまう。そして、そんな人たちを好きでいることを本当に幸せだと思う。

すばるさんの声を聞きながら、自分の嗚咽がうるさいな、と思うくらいだったんだけれど、この人もまた、どこまでもまっすぐな人だと感じた。6人になった関ジャニ∞をよろしく、と、自分ではなく関ジャニ∞のことを想った言葉ばかりで、0番のこの人をいつまでもいつまでも忘れることはできないし、それは痛くて苦しいばかりのことではないと思った。どれだけすばるさんの姿に心を打たれ力と笑顔を貰ったか。受け入れるのはもっともっともっともっと時間がかかると思うけれど、今、だって、逃げずに話してくれてありがとう、って思ってる。今の、それが今のすべてだ。

あなたが嬉しそうに語ったヒロトマーシーのように、あなたがたくさんの人のヒーローになっていること。渋谷すばるに、関ジャニ∞に出会えて本当に良かったと、いつでも思っている。

 

へそ曲がり、はリリース当初からだったけれど、もうすばるさんの歌にしか聞こえないなあ!そしてLIFEは、すばるさんの歌っている部分はすばるさんに、他のメンバーが歌っている部分はメンバーの心を反映してるみたいに聞こえる。歌はいろんな形に寄り添って形や意味を変えていくものなんだなあ、とこんなところで思い知っている。

20180420

緩やかな逃避の坂を下っているんだろうな、と思う今日。

日を追うごとに、遠い未来のような、ずっと過去のような気がしてしまう。会見の映像や、7人のコメントを読むことも、ある程度の日常を取り戻した今の方がもっと難しいかもしれない。