やすばすく

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20180415

渋谷すばるという人が、関ジャニ∞の核だと、ずっとそう思ってきた。

思ってきた、し、今もそう思っている。

後悔も、分析も、憶測も、今は意味がなくて

ただあるのは今までの記憶と、感じてきた気持ちと、今、だけだ。未来は見えないし、想像をすることも難しいし、ただ、今。たくさんの誰かの感情に、言葉にまみれないうちに感じたことを残しておくためにブログを書こうと思った。

 

すばるさんの言葉を読んで、メンバーの言葉を読んで、どうしていいかわからなくて、外に出てずっと、関ジャニ∞の歌を聞きながら歩いた。そうしたら、驚くほどにいつもどおりなんだもの。いつも、毎日、嬉しい時に、苦しい時に、悔しい時に、幸せな時に、いつも聞いている関ジャニ∞の歌。変わらなかった。考えたらまあ、当たり前なんだけれど。ここから渋谷すばるの歌声が、なくなってしまうんだなあ、なんて想像もできないし、まだよくわからない。これまでの関ジャニ∞を、過ごした時間を、記憶を、どうこうする必要はないんだということがわかって、ちょっとほっとした。これまでの関ジャニ∞が、自分を支え続けてくれた存在であることに、何の変りもない。

 

ソロ活動をした後に、すばるさんが関ジャニ∞に、戻ってきてくれた、と思って、その時ああもう大丈夫だ、とか思っていた自分がいた。すばるさんは、アイドルという世界で、ジャニーズという世界で、コンサート、と名の付く舞台で、表現したいものを表現しきれるだろうか、と思ったら、飛び立っていく、飛び立っていってしまうことを考えてしまったし、それを不安に思ってしまった。どこか不自由さを身にまとっているように、勝手にそういう目で見ていたかもしれない。

 

人の考えることは、思うことは、他人には完全に理解できない。それは遠くにいるアイドルでも、近くにいる人でも同じ。だから、偏見や憶測で人を見るけれど、それしかできないけれど、わかりたい、とか、知りたい、理解したい、って思える人に出会えたことは幸せだ。

ああ、でも、何度も歯を食いしばらなきゃいけないグループだなあ!って思うし、それでも関ジャニ∞を愛しているし、毎日に、必要な存在だし、やっぱり、「応援」しかできないけれど、わかりたいし、知りたいし、理解したいし、ううん、それよりもっと単純な次元で、彼らを見ていたい。

 

ジャニーズ事務所では、アイドルという存在としては、表現しきれないものがあったのだろうか。関ジャニ∞に在籍したままでは、できないことだったんだろうか。旅立ちと裏切りは紙一重だ。事実があって、受け取る方がどう受け取るか、それだけだ。評価も批判もしたくない。渋谷すばるが好きだ。関ジャニ∞が好きだ。渋谷すばる関ジャニ∞に必要だと、そう思っている。わかりたいと思っても、知りたいと思っても、それはきっとできない。感情的な話ではなく、理論としての話だ。何を思い、何に導かれ、何を選び取って、どこへ進むのか、そこに在るのも残るのも事象としての事実だけだ。

 

いつかこの事実を、受け止めきれるのだろうか、…とか、それもどうでもいいな。

今はただ悲しい。

もう関ジャニ∞のライブに行っても、そこにすばるさんはいないんだな。

それが、悲しい。

ありがとうって言いたいのに、悲しさばかり込み上げてくる。

それでも、関ジャニ∞が大好きだ。

渋谷すばるのことが、大好きだ。

悲しいくらい、大好きだ。