やすばすく

前ブログ http://ameblo.jp/yasubask/

20180419

Street Blues聞きながら、関ジャニ∞は全員がそれぞれに違った魅力的な声をしていて、みんなちがって、みんないい。を辞書で引いたら関ジャニ∞が出てきそうな気がするな!と思って、次の瞬間にああ、やっぱり離れ離れはいやだ、と思って、関ジャニクロニクルを見ながら、なんて素晴らしいバランス、阿吽の呼吸、7人の毒と天然の混ざり具合!と思って次の瞬間に今見ているものがどれだけかけがえのないものかを思い知って、

そんな具合で過ごしながらドキドキと、しながら読んだレンジャーは温かみと7人の”らしさ”が詰まっていて、涙腺も頬も緩んでしまった。

動き出した歯車はもう元には戻らない、と、言えばネガティブに聞こえるだろうけど、

彼らの歯車は前進するために回り始めているんだな、ということを思い知って、その姿をどこまでも追いかけていきたいと思った。

ヤスくんの、少し、にはどれだけの想いが詰まっているんだろう。

 

わがままだとはわかっていても、

関ジャニ∞としてステージに立つ、すばるさんに、歓声を送らせてほしいと願ってしまう。

「Eighter」としてできることを、送れるものを、届ける機会がほしいと願ってしまう。

さいごに、って、まだ言えないけれど。

20180418

本屋に行った。TVガイドの関ジャム連載で、コーラスについて語った後に亮ちゃんが「だって俺コーラスちゃうし、錦戸亮やし(笑)」と発言しているのを読んで、とてもぐっときた。買って帰って、何度も読み返している。

「これは亮ちゃんの未来へ向けた決意がうんたら…」とか深読みしてるわけではないし、発言のいちいちにそういう目を向けられたらしんどいだろうな!って思うから(絶対向けられちゃうだろうし私も無意識に向けちゃうだろうけど)そういう、重たい意味を背負わせてじゃなくて。ただ、かっこわらい、がついててもそういうこと、口にする亮ちゃんがいることがとても頼もしいと思った。結局深読みしちゃってる気配…。

 

徐々に食事も取れるようになってきた。職場でも、このままじゃいけない、と思って勇気を出したら、また笑っておしゃべりできるようになった。(触れられなければ!)

夕飯後に床に転がって寝落ちしちゃって、よし、日常を取り戻せてきたぞ、と思ったけど、たぶん、これが生理的な順応であって、今さら精神的には事実からの逃避が始まっているように思う。関ジャニ∞にべったり、な三日間の間でも、すばるさんのソロシングル、ソロアルバムは聞けなかった。大丈夫になってきた、と思ったら記憶が頭のなかで流れ始めて止まらない。きっと、7月が近づくにつれどんどん辛くなっていくんだと思う。正面から向き合っていたわけでなく、これまでの関ジャニ∞、の中に逃げ込んでいただけなのかもしれない。

 

関ジャニ∞の歌の中に、渋谷すばるにしか歌えない部分がある。

そして、錦戸亮にしか、丸山隆平にしか、安田章大にしか、大倉忠義にしか、村上信五にしか、横山裕歌えない部分がある。

7人の重なりから、6人の重なりになった時に、変化はもちろんあるけれど、それがどうなるのかはまだ聞いてもいないからわからない。

この四日間、ずっと励ましてくれているのはこれまでの関ジャニ∞の歌だ。

20180417

この三日間、関ジャニ∞にべったりの生活を送っていた。

関ジャニ∞の番組を見て、ライブDVDを見て、MVを見てメイキングを見て、関ジャニ∞の曲をひたすら聞いていた。物理的に聞けない時にも頭の中で自動再生されていた。そうしていることで安心できたし、逆にそこから離れると不安にまるのみされるんじゃないかと思って怖かった。

今日、仕事中にスマホをなくした。外に出た直後だったから落としたんじゃないかと思って、一時間以上探し回ったけど見つからなくて。(結局、室内を片っ端から引っくり返したら、記憶にもない場所から出てきたんですけども。)

気圧のうんたらで体調も最悪で、液体ばかりで栄養摂取してたせいか薬も効かなくて(そんなことあるのかわからないけど)、食べても食べなくても気持ち悪くて、そこへきて失くしものだ、弱り目に祟り目だ、って思って。

でも、体調が少し戻ってきたら、なんかちょっと今日の日中までと心持ちが変わってきているような感じがして。

なんでだろうって考えたら、スマホをなくして必死こいて探してる時に、「関ジャニ∞に触れない時間」が少しだけどあったんでした。

縋っているのか、隙間を埋めているのか、と昨日は思っていたけれど、ほんの少し離れたら、ああ、私にとっての関ジャニ∞は、依存する対象じゃなくて、心を支えて日常に楽しみをくれる存在だったよな、ということを思い出せた。それって依存と何が違うの?って言われたら、私には私の生活があって、その中で関ジャニ∞を選び取っているんだ、ということだと思う。心を支えてくれる、喜びを与えてくれる存在として、関ジャニ∞を自分の日常に組み込むことを、関ジャニ∞が好きだから、それを選んできたんだ、と思ったら、なんだか気持ちの感触が、変わった感じがした。今日は洗濯もできたし、ご飯も炊けたありえへん∞世界を見たら安田くんは今日もとても可愛くてかっこよかった。今日も私は関ジャニ∞が好きだった。

 

関ジャニ∞の歌声は、すばるさんの歌を真ん中にして成り立っていたと思う。

それは「すばるさんの歌声だけによる」わけではなくて、渋谷すばるという無二のボーカリストが真ん中にいるからこそ、それぞれのメンバーが絶妙にバランスを取って、様々な声音が厚く大きな層になってぶつかってくるような、インパクトと繊細さが共存している歌声を、関ジャニ∞は実現してきたんだと思う。

丸ちゃんとヤスくんのハモの細やかな技術、豊かで色とりどりの表情を歌声に乗せる表現力。大倉くんの今や必要不可欠となった甘い低音と狂いのないリズム感。他の誰にも例えることができない個性と色と優しさを持った横山さんと村上さんの声。渋谷すばるとは真逆に近い、甘やかでありやんちゃなハスキーボイスを武器に双璧を成す錦戸亮の歌声。

一般的にグループアイドルというものであれば、何人もの声が重なって、まとまって、一つの玉のように一つの声のようになっていく、その集った一体感こそがそのグループの「声」になっていくのだと思うのだけれど、関ジャニ∞の声は全然、まったく、まんまるな一つの玉じゃない。

それぞれが絶妙なバランスを取りながら、それぞれの個性を失わず、多重層として存在する。一個体にまとまってしまわずに、だけどバラバラにならない。それこそが関ジャニ∞が見出してきた道であり、磨いてきた武器であり、そしてそれは、渋谷すばるというボーカリストなしでは考えられないバランスの取り方だったと思う。

これからの関ジャニ∞の歌声は、どんなふうになっていくんだろう。きっと、今までの関ジャニ∞とは全く違うものになっていくだろうし、そうなっていかなきゃならないんだろうとも思うし、だけどこれまで磨きに磨いてきた彼らの武器は決してすぐに壊れてしまうような軟弱なものじゃない。

ああ、これから、とか考えるような、段に足を踏み入れてるのか、私。

とか思ったらまた揺り戻しが来て、悲しみに溺れる時間もまたどれだけでもやってくるんだろうけれど。実際さあ曲を再生だ、って並んだ曲名をスクロールして眺めただけでまた泣いてしまうんだけれど。ああ、やっぱ、信じられないなあ、って思ったりしてるんだけれど。

関ジャニ∞のメンバーは今を、今、何を思っているだろう。笑えているだろうか。驚くほどに、関ジャニ∞を好きな気持ちだけが微塵も揺らがない。

20180416

昨日のブログを書いた後、会見の映像や、記事や、7人の言葉を読んで、見ました。

悲しくて悲しくて、ひたすら悲しみに包まれていたのに、7人の言葉と、話す姿を見ていたら、大好きだ、大好きという気持ちが、悲しさすら包んでしまうくらいに溢れ出しました。

関ジャニ∞のことを愛している関ジャニ∞が、大好きだ、と思いました。

関ジャニ∞のことを、関ジャニ∞が、愛しているということを、感じられてよかった。

会見を見て、あらためて、大倉くんの、そこに嘘はありませんでした、という言葉に救われました。

信じられない、というよりは、渋谷すばるのいる関ジャニ∞、という世界から違う世界に来たような感覚がしています。

いや、まだその境界線の上をぐらぐらと渡っている感じ。まだ、よくわからない。

 

一日経つと気持ちが変化してくるもので、今日一日を過ごして今は、悔しさがどんどん募っています。

誰が何をどうすれば違う未来があったのか、なんて考えてみても、誰が何をどうしていたとしても今、この現実があることを変えることはできない。できないんだ、って思いながら、ああ、これじゃあこの現実を、その先に待っている未来を否定しているみたいだな、って思いながら、でも、7人の関ジャニ∞をずっと見ていたかったから、今はそんな風に思ってしまうよな、それはしょうがないよな、しょうがない、と思います。

私の夢は、関ジャニ∞の7人が、いつまでもずっと、7人で楽しく輝く姿を見ていることでした。

夢、という言葉は、こんなにも力強さがあるのに、こんなにつかみどころのない言葉もないよな、と思います。

「それを止める権利は誰にもないのかもしれません」という大倉くんの言葉と思いに、強く強く共感しました。

権利を、意思を、尊重したい。大事な存在だからこそ、その人の想いを大事にしたい。大事な存在だから、ずっと一緒にいてほしかった。どちらの想いも同じくらいあって、そこに正しいも間違いもない。

 

ツイッターを見たらいろんな人の感情に飲み込まれてしまいそうな気がしていたけれど、3時間ひたすら自分の中で噛みしめて、それでやっぱりひとりで抱えきれなくて覗いてみたら、そこにはそれぞれの人の、形や言葉は違うけど、それぞれの愛が溢れていて、ああ、悲しみを分け合うというのはこういうことなんだな、って思った。一人暮らしで、周りにすぐに会える人もいない身には、そういう場所があることがありがたかった。

 

その日の夜にはもう、関ジャムの放送があって、でも、とても普通に、いつもどおりに、楽しく見られて驚きました。でも、次週予告が終わったくらいに、一回の放送の重みがずしんとのしかかってきた。この日がこなければいいのに、と、ツアーの初日に私たちもあらためて思うのだろうか。それとも、気持ちはどんどんと変化していくんだろうか。

発表の後から、ほとんど絶え間なく、関ジャニ∞の曲を聴いたり、番組を見たり、ライブDVDやMVやメイキングを見ています。実際に再生していない時にもずっと、関ジャニ∞の曲が頭の中を流れています。それが途切れると寂しさに襲われてしまうから、ずっと関ジャニ∞に触れていることで、ずっと関ジャニ∞で満たしていることで、安心ができているような感じがします。縋っているのか、沁み込ませているのか、隙間を埋めようとしているのか、わからないけど、今は全部を、7人の関ジャニ∞で満たしていたい。

私にとっては十年間。毎日傍にあって、辛い時悲しい時、苦しい時、楽しい時幸せな時、傍に寄り添ってくれていた、日々を生きる励みになってくれていた関ジャニ∞の曲の、真ん中にあったすばるさんの歌声が、これからの関ジャニ∞の曲には存在しなくなってしまうのか、と思うとひたすらに悲しいのだけれど。ひたすら、これまでの関ジャニ∞の曲を聞いていると、もう、ほんとうに、素晴らしい曲と歌声がたくさんあって、改めていい曲だな、いい声だな、いいグループだな!っていうのをつくづく再認識させられるし、この楽曲の数々に、関ジャニ∞の歌声に渋谷すばるの声があったこと、渋谷すばるの声が真ん中にある関ジャニ∞の歌声で、こんなにたくさんの歌を聞いてこられたことを、本当に幸せだなと思います。…だからこれからも、って、エンドレスにループしちゃうんですけれど。

どの歌を聞いてみても、驚くほどに、すばるさんへの想いに重なる部分があって、現実を突きつけられるようでも、励まされているようでもあって、とても不思議な感覚です。そういうのもふくめて、関ジャニ∞は、いい曲、たくさんたくさん歌ってきたんだなって感じます。関ジャニ∞いいなあって思います。

 

そう、どこをどう切り取って、そこからどんなふうに想いが展開していっても、その先に「関ジャニ∞っていいなあ、好きだなあ」っていう想いに辿り着くんですよね。悲しいのも、悔しいのも、最後に「好き」に繋がってしまってどうしようもない。それが大きな救いでもある。「どうして」も「いやだ」も、薄れることがあるのかわからないし、それはもう解決も解消もされないことなんだろうと思うけれど、最後に好き、に辿り着いてくれることに、辿り着かせてくれる関ジャニ∞に、救われる。

 

今日は仕事が忙しかった。人と関わることはうまくできそうになかったので必要最低限以外は避けてしまったけれど、仕事はちゃんとした。友達からのラインに今の気持ちを書いて返せたから、もし職場で誰かに何かを言われてもうまく返せると思っていたけど、実際はうまく言葉が出なくてだめだった。夜にも、帰ってきてからも、眠ることはできた。いつもは深夜の高速道路の映像を見ながら寝ているけれど、昨日からは関ジャニ∞の曲を聞きながら寝ている。食欲は湧かないけどお腹は空くし、でも食べたら気持ち悪くなってしまうから、気づいた時に少しずつ食べるようにしてみた。お風呂に入れる。関ジャニ∞のライブ映像を見ながら好きだなあと思う。自分はこういう時、案外普通にいつも通りの生活を送れるタイプじゃないかなと思っていたけど思い違いだった。明日からの私の課題は、日常生活をちゃんと送ることだ。だけど、日常を立て直すのには、気持ちを立て直すのには、そこには関ジャニ∞が必要なんだ。食欲や睡眠欲で満たせないもの。自分が心のどれだけの部分を関ジャニ∞で支えてきたのか、気づいていなかった。私の中の関ジャニ∞の場所を、他のものでは埋めたくない。だからこそ今、抱きしめていたい、こんな気分だって。

20180415

渋谷すばるという人が、関ジャニ∞の核だと、ずっとそう思ってきた。

思ってきた、し、今もそう思っている。

後悔も、分析も、憶測も、今は意味がなくて

ただあるのは今までの記憶と、感じてきた気持ちと、今、だけだ。未来は見えないし、想像をすることも難しいし、ただ、今。たくさんの誰かの感情に、言葉にまみれないうちに感じたことを残しておくためにブログを書こうと思った。

 

すばるさんの言葉を読んで、メンバーの言葉を読んで、どうしていいかわからなくて、外に出てずっと、関ジャニ∞の歌を聞きながら歩いた。そうしたら、驚くほどにいつもどおりなんだもの。いつも、毎日、嬉しい時に、苦しい時に、悔しい時に、幸せな時に、いつも聞いている関ジャニ∞の歌。変わらなかった。考えたらまあ、当たり前なんだけれど。ここから渋谷すばるの歌声が、なくなってしまうんだなあ、なんて想像もできないし、まだよくわからない。これまでの関ジャニ∞を、過ごした時間を、記憶を、どうこうする必要はないんだということがわかって、ちょっとほっとした。これまでの関ジャニ∞が、自分を支え続けてくれた存在であることに、何の変りもない。

 

ソロ活動をした後に、すばるさんが関ジャニ∞に、戻ってきてくれた、と思って、その時ああもう大丈夫だ、とか思っていた自分がいた。すばるさんは、アイドルという世界で、ジャニーズという世界で、コンサート、と名の付く舞台で、表現したいものを表現しきれるだろうか、と思ったら、飛び立っていく、飛び立っていってしまうことを考えてしまったし、それを不安に思ってしまった。どこか不自由さを身にまとっているように、勝手にそういう目で見ていたかもしれない。

 

人の考えることは、思うことは、他人には完全に理解できない。それは遠くにいるアイドルでも、近くにいる人でも同じ。だから、偏見や憶測で人を見るけれど、それしかできないけれど、わかりたい、とか、知りたい、理解したい、って思える人に出会えたことは幸せだ。

ああ、でも、何度も歯を食いしばらなきゃいけないグループだなあ!って思うし、それでも関ジャニ∞を愛しているし、毎日に、必要な存在だし、やっぱり、「応援」しかできないけれど、わかりたいし、知りたいし、理解したいし、ううん、それよりもっと単純な次元で、彼らを見ていたい。

 

ジャニーズ事務所では、アイドルという存在としては、表現しきれないものがあったのだろうか。関ジャニ∞に在籍したままでは、できないことだったんだろうか。旅立ちと裏切りは紙一重だ。事実があって、受け取る方がどう受け取るか、それだけだ。評価も批判もしたくない。渋谷すばるが好きだ。関ジャニ∞が好きだ。渋谷すばる関ジャニ∞に必要だと、そう思っている。わかりたいと思っても、知りたいと思っても、それはきっとできない。感情的な話ではなく、理論としての話だ。何を思い、何に導かれ、何を選び取って、どこへ進むのか、そこに在るのも残るのも事象としての事実だけだ。

 

いつかこの事実を、受け止めきれるのだろうか、…とか、それもどうでもいいな。

今はただ悲しい。

もう関ジャニ∞のライブに行っても、そこにすばるさんはいないんだな。

それが、悲しい。

ありがとうって言いたいのに、悲しさばかり込み上げてくる。

それでも、関ジャニ∞が大好きだ。

渋谷すばるのことが、大好きだ。

悲しいくらい、大好きだ。

木曜日

信ちゃん、長い長い間、お疲れ様でした。

レコメン!は、私がエイターになりたての頃、最も容易に手を伸ばせる関ジャニ∞の”生”でした。最初に「こんばんワンツー、関ジャニ∞横山裕ですけども」「こんばんワンツー、関ジャニ∞村上信五です」って、声が、ラジオから聞こえてきた時にすごくそわそわと嬉しかったのを思い出します…。その頃はラジオの電波がなかなか拾えなくて、家の中で唯一電波の拾いやすかった実家の店の調理場で、アンテナをあっちこっち向けながら聞いていました。エアコンが入れられなかったから冬は極寒だったなあ…。

パソコンで聞くようになってからは、ブログでレポというか文字起こしをしていた時期もありました。ヨコヒナの言葉を体に叩き込むみたいな時期だった。あの時期を経ることができてとてもよかったと常々思っています。

ツイッターを始めてからはレポを目で追いながらも耳でも聞く、という時間を過ごして、TLでいろんな人たちと時間を共有できている感じがそれもまた楽しかった。

振り返ってみるとその時々でいろんな楽しみ方をしていたんだなあ、と思います。

 

横山さんがレコメンを旅立って、”終わり”はくるんだ、ということを痛烈に味わって、終わりはくるし、ずっと続くと思っていたものほどそれが辛いのだということを身をもって知りました。それから、エイトごとにしても事務所ごとにしても、卒業とか終了とかいろんな、大きな旅立ちがあったけれど、そのたびに横山さんのレコメン!卒業を思い出していました。泣いた目で笑う村上さんとのツーショットの写真を思い出していました。永遠なんてない、っていう言葉を何度も何度も噛みしめて、それでもやっぱり受け止めきれない部分があって、その部分は”諦め”という感情でカバーするしかなくて、でも諦めました、と整理するのはやっぱりできなくて。思い入れが強すぎると辛くなる、って思うからあまり強く思い入れを持たないようにしようって、心のどこかで無意識にそんな作用が働いていたように思います。

関ジャニ∞村上信五丸山隆平レコメン!へとバトンタッチをして、ショックは依然としてあったけれど、健気で陽気で陰気な丸ちゃんの存在にとても救われていました。丸ちゃんの素敵なところも好きなところも、レコメン!を通して爆発的に増えました。時に心配なほどにつっぱしっていく丸ちゃんの、傍に村上さんがいることで、いつでも安心感をもって聞けたし、それはリスナーだけじゃなかったとも思うし、そうやって、丸ちゃんの好きなところが増えるたび、信ちゃんの好きなところも増えていったように思います。

レコメン!でしか出会えない横山裕がいて、丸山隆平がいて、村上信五がいて。横山さんを支えながらも時に天然が暴発する信ちゃんも大好きだったし、丸ちゃんを転がしながらも信頼の眼差しを向けていることがよくわかる二人の空気感も大好きでした。

BADの二人とのレコメン!になって、これまでとは違う、”自由気ままな先輩”というポジションで話したり笑ったりする信ちゃんも好きだったし、それでいてしっかりケツ持ちは俺に任せとけ、という雰囲気が伝わってくるのもとてもかっこいいなと思っていたけれど、なんだかどうにも馴染めなくて、聞きながら寝ちゃったり、合間合間に違うことをしていて聞き流していたり、ということが増えて、半分くらいしか聞かないこともあったりして。たぶん、レコメン!に桐山くんと中間くんの色が混じり合ってくることを、まだ受け止めきれていなかったのもあるし、いつかは信ちゃんも卒業してしまうんだろうという思いから防御線を張っていたのもあると思います。それでいていつか横山さんが帰ってくる場所を守っているんだ!だから信ちゃんは卒業しない!と心のどこかで、祈りに近い思いを抱いていました。

それでも、レコメン!からの卒業が発表されて。そしてイフオアが一旦幕を下ろすことになって。村上さんが、守っていた場所から立て続けに離れる、そんな風に思えてとてもとても寂しくて、新しい一歩、という方向に気持ちが向かなくて。

横山さんが、レコメンのブースに戻ってきて。「関ジャニ∞横山裕村上信五レコメン!」をもう一度聞けて。それで、やっと、やっと、ああ、信ちゃん本当にありがとう、本当にお疲れ様でした、という気持ちになれたのでした。

そして最終日には丸ちゃんがやってきて、なんだかひどく安心した。あの柔和な笑顔が村上さんの旅立ちを見守っているんだなあと思ったら、ああ、よかった、と思えた。

レコメン!を卒業してしまうのは今でもとても寂しいけれど、”村上さんの声に触れられる木曜の夜”を過ごしてこられたことが幸せでした。たくさん笑わせてもらいました、考えさせられることもあったし、話題やテンションに置いてけぼりになることもあったけど、それも全部レコメン!の楽しさでした。

「木曜日が人生でした」という信ちゃんの言葉、きっといつまでも覚えています。そして、私の中の木曜日はたぶん、いつまで経ってもヨコヒナの日です。

本当にありがとうございました!

羊の木

映画「羊の木」を観ました。

初日と2月末に観て、だいぶ時間が経ってしまいましたが感想を書きます。

 

一回目はとても怖かった。ざわざわとした苦みが胸を占拠して、”希望”というものがあまり見えなかった。宮腰という男がとても怖かった。轢き殺した杉山をバックして入念に踏みつぶしたのも、一度手を緩めた後月末の腕を掴んで海へ飛び込んだのも。月末の部屋でギターを練習した後、眠くなったと横になり口にする「疲れた」の意味が、人を殺してしまったという精神的疲労というより成人男性二人を車に運んだ肉体疲労のことをさしているように感じられて、とても怖かった。それと同時に、宮腰に対しての理解を「怖い」だけで終わらせたくない、という気持ちもあった。”人間らしい”部分、”理解できる”部分を探して、思い出して、海に沈んでいくエンドロールの文字にそれを重ねながらスクリーンを眺めていて、流れてきた「DEATH IS NOT THE END」の文字と繰り返される「not the end not the end」という優しい歌声になんだか絶望した。死んでも終わらない、というのは、宮腰にとっては絶望じゃないか、って思ったから。

 

宮腰のシーンではないけれど、一番怖くて思わず目を瞑りそうになったのは、最後に交差点でバイクの文とすれ違うシーン。角を曲がる瞬間に大型トラックが突っ込んできて文が弾き飛ばされてしまうんじゃないか、っていう恐怖が一瞬でぶわっと膨らんでとてもとても怖かったけど、なんで怖かったんだろう?というのはその時はわからなかった。

 

それで、ザワザワとしながらパンフレットを読んだら、演者さんや監督の言葉の中に求めていた部分の答えの糸口があった。

以下、パンフレットのインタビューより引用します。

 

松田龍平さん

『善悪を超越したということではなく、どこまでも人間社会のルール内でもがいている男として、宮腰を表現したいと思ったんです。』

『彼はたぶん、心に恐ろしいほど大切なものを抱えている気がするんです。あるいはそれは、他人から見ると「それだけのこと?」と思うくらい些細なことかもしれない。でも、宮腰の心には誰も入れない領域があって、それを守るためなら簡単に人を殺してしまったりする。劇中の行動だけ見ると無邪気さと冷酷さの振れ幅が異様に大きく想えるけど、決して二重人格ではなく・・・・・・。彼の中で「魚深という新天地で平穏に暮らしたい」という気持ちと実際にとった行動は、ごく自然につながっているんじゃないか。演じるうちに、そう感じるようになりました。』

『何かに固執してしまう気持ちは誰の心にもあるはずだし。常識的な顔で生きている人でも、ひとつ条件が変われば平気で恐ろしいことをしでかすかもしれない。宮腰の場合は、その尺度が社会のルールとズレていただけで・・・・・・。決して僕らと遠い存在ではないとは思っています。』

田中泯さん

『価値観の違いを、人はどこまで許し合えるか。人間が人間として許せる限界はどこにあるのか。』

吉田大八監督

『この映画で僕は、人が誰かを信じたり、疑ったり、受け入れたりする風景を、ちょっと奇妙な設定のもとに描いてみようとしました。ただ、その問いをどこまで真摯に突き詰めても、人間には答えが出せないこともやっぱりあると思うんですね。おそらく宮腰というキャラクター自身、そういう葛藤をずっと自分の中に抱えて生きてきて・・・・・・。それで最後に、自分を「友だち」と呼んでくれた月末を巻き込んで、あんな賭けに出たんじゃないかなと。そして、魚深の町にはたまたま”のろろ”という人間の意思を超えた存在がいた。』

『あるいは彼(月末)は、どう頑張っても救われない存在について、ある苦しみと共に思い知ったかもしれない。ただ、それは必ずしも人間への絶望は意味しない。』

 

このお三方の言葉を読んで、宮腰という人間の見え方が変わった。宮腰のことを怖いと思いながら、どうにかそんな宮腰を理解しようとしていた自分にも気付いた。だから、”怖い”の正体は、”わからない”だったんだな、と思った。

 

それから二回目を見て、またいろんなことを考えたし、想像しました。

宮腰が海に飛び込んだのはなぜか。一回目に観た時は、刑務所に入っても、魚深に来ても同じ結末の繰り返しで、じゃあ生を投げ出してみよう、という気持ちのように見えた。「試してみよう」という並列の選択肢の中の一つで、飛び込むこと、死んでしまうかもしれないこと、がそれほど抜きんでて重い意味を持っているわけではないように感じた。じゃあなぜ月末を連れて行ったのか。友達だったから?宮腰にとって友達とは何?そう考えてみてもわからなかった。宮腰にとっての唯一未練らしきものが月末だった、それはもしかしたら月末が、罪を犯し始めて社会的なルールから外れて以来、自分を異物と見なさない初めての人だったからだろうか、と思った。

 

二度目に観た時には、違った。そんな軽い感覚で飛び込んだようには見えなかった。宮腰は杉山から「何も考えないで殺しちゃう奴」と言われて、宮腰自身は何も考えていないわけではないけれど考えても無駄、という思いは持っていたかもしれなくて。「人殺しだよ。昨日も、今日も。たぶん、この先も。」という宮腰の言葉は、諦めじゃなくて絶望だ。DEATH IS NOT THE ENDなのだとしたら、宮腰の絶望は終わらないじゃないか、と思った。宮腰の言う「この先」は、現世で生きていたとしての未来だけじゃなくて、転生というものがあり得るとしてその先の人生までも含んでいるように感じたから。じゃあ、終わっても、終わらない。宮腰の衝動は、どうなれば異物ではなくなるのか。人間の社会、現代の社会、日本の社会、生き物の社会、いつ、どこに属すれば宮腰は異物ではなくなるのか。そう思うともっと苦しかった。

 

杉山は魚深に来た時からすでに、諦めていた。社会でおおよそのルールとされているものに馴染めないことを社会のせいだ、と折り合いをつけていた。馴染むことをすでに諦めていた。諦めた先には「船の上で薬の受け渡し」とかする社会という居場所があったから諦められた。そこでなら自分は生きていけると思っていたから。

でも宮腰にはその、諦めた先、が無かった。だから諦められなかった。もし月末に出会っていなければ、宮腰は杉山の誘う社会に足を踏み入れて、もしかしたらそこを居場所にして生きていけたかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない(その社会に流れるルールでさえ、宮腰には適応が難しいものかもしれないし)。でも、宮腰が選びたかったのは、月末のいる方の社会で生きていくことだった。だからもっと、諦めることができなくなったんじゃないかと思う。

それでも、月末に人を殺めたことを勘付かれて、自首を勧められて。ああ、こいつも俺を許さないんだ、と思ったから首を絞めたのかもしれない。そういう、悲しみに近い感情が、意識下にあったのか衝動の裏に隠れてしまっていたかはわからないけれど。でも、月末は宮腰に怒鳴った。「友達だろ!」と言って怒った。「月末も自分を許せないのだろう」というのは、これまで周りの人間から許されてこなかった宮腰の先入観だった。月末がそういう次元で自分を見ていないということに気付いた時、宮腰は動揺したのではないかと思う。月末の手を引いて、共に海に飛び込むこと。命を懸けた審判を二人で受けること。それは、一度は月末を諦めて、社会を諦めて、生を諦めようとした宮腰が、それでも希望のようなものを見せられて、心は揺らいで、それでももう諦める選択肢しか選び取ることはできなくて、そんな中で最後に特別な絆を結ぼうとした姿だったのかなあ、と、思った。だから私は、宮腰にとってはDEATH IS THE ENDであってほしかった。「この先」にまた同じ繰り返しが待っているとしたら、宮腰がそう思っているとしたら、終わらないことは苦しみであり絶望だと思うから。

 

だけど、DEATH IS NOT THE ENDを希望として胸に抱く人間もいる。栗本清美は死んでしまった亀を校庭に埋めながら、「さよならじゃない。木が生えて、また亀に会えるから」と言った。命を落としたものを土に埋めて、そこから芽が生えるのを清美は見た。

この映画において、清美はDEATH IS NOT THE ENDが希望であることの象徴だと感じる。転生というものを信じているかどうかは定かでないけれど、死の先に何かがあることは、清美は信じているように見えた。「私が、私は、怖いです」と清美は言った。人の命を奪ったということが清美のパーソナリティーに強烈に焼き付いていて、だから再生を願うんだと思った。再生を願っているのか、鎮魂なのか、それとも恋人も夕飯の魚もゴミ箱裏の小鳥も土に埋めることで同等のひとつの”死”にしようとしているのか、とか、とか…いろんな風に考えられるけど、清美が両手で形作る土の下から芽生える希望が、枯れずに、折れずに、長く育っていってほしいと願わずにいられなかった。それが私にとってはこの映画の希望だった。

大野もまた、自らが行ったことを真っ直ぐに見つめている。社会のルールがあることを理解して、穏やかにそこに溶け込もうとするし、溶け込めないのならしょうがない、という諦めもある。その諦めは他に居場所があるから、という諦めではなくて、溶け込めずとも片隅で生きていく努力を繰り返していこう、という覚悟の上にある諦めに思える。「馬鹿だったと気づいた時にはもう遅い」という大野の言葉が、跳ね飛ばされる杉山を見ながら頭のなかに響いていた。

福元は、居場所があることを心から感謝しながらも、この先も欲望や衝動に負けて、後悔して、泣きながらまたやり直そうとする、そんな繰り返しを続けていくんだろうなと思った。その表出が人を殺めるというところに達してしまっただけで、繰り返すその形は誰もが持っているものだと思う。

「人を好きになっちゃいけないんですか」と問いかける太田理江子だけは、自分を犯罪者だと心の底では思っていないのかもしれない。ルールがあることもわかっている、自分のしたこともわかっている、けれど私には正当な理由がある。それを理解してくれない社会は悪だ。そんな風に感じられるところは、杉山に近い気がする。杉山はそこでこの社会で生きるのを諦めようとしていたけれど、理江子は私は間違っていない、という思いを抱えながらこの社会で生き続けようとする。傲慢なように見えるけれど、自分自身に「犯罪者である」というラベルを貼り付けることはとても難しいことだとも思える。もし自分がそうなったとしても「どうしてわかってもらえないんだろう」「わかってくれないほうが悪い」というふうにして感情を処理しようとするかもしれない。誰かが作ったルール、みんなが守ろうとする善悪、それだけで自分という存在を判断しようとするなんて、やっぱりできないかもしれない。どれだけ自分に言い聞かせても。

理江子と同じくらい、もしくはそれ以上に”傲慢だ”と感じたのが文だった。わかっていても見ないふりをしたり、想像できることをしようとしなかったり。それで人を傷つけたとしても、見ない。自分のテリトリーに厄介なことは存在しない、と思うことが、彼女が培ってきた自分を守る術なのだろうと思う。文の行動は一つ一つが自分本位で、だから月末は振り回されるし振り回されてきたんだろうなと思うけど、二人がそれでいいんだったらそれでいいんだろうな。月末が死んでしまうかもしれないと思って初めて文は自分から月末に手を伸ばそうとした、ちゃんと見ようとした。

初日に観て一番怖かった、文が交差点をバイクで曲がるシーン。私があれをとても怖く感じたのは、文に対して「天誅が下るんじゃないか」とどこかで感じていたからだと思う。一度は海面に浮んで助かるかに見えた宮腰が、のろろ様に潰され海の底へ沈められた。”天誅”に見えるあのシーンの後だったから、「身勝手な文にも何か起こってしまうのでは」と思ってそれが怖さになった。文がどうこう、というよりは、これ以上月末が悲しんだり苦しんだりすることが起きませんように、という願いの元の恐怖だった。って書くとよっぽど私は文が好きじゃなかったんだな、と思うけど確かにその通りで、見ないことで関わらないようにしたり、想像しないことで終わらせようとしたり、そういう部分で自分と重なるところがあったから、見ていて辛辣な思いを募らせるほどに自分を責めたくなった。

 

 

 

”怖い”の正体は”わからない”だった、と書きました。じゃあ”わからない”を理解しようとする行為は何なんだろう。怖いという気持ちもその行為も、人間の防衛本能に基づきます、的なものに思える。「怖い」なら排除をする、遠ざけたり自ら離れたりする。「理解しようとする」は、わからないをわかるに変化させて、自分の中の安心できる場所にしまおうとする、ということだろうか。それってなんて自分本位なんだろうとも思うし、だけど自分本位で何が悪いとも思うし。理解までしなくても、受け止めて在ることを認め合う、というのがきっと他人と関わるうえで最も”お互いを尊重する”在り方なんだろうなと思うけれど、そこまで辿り着くことも難しいし、そこで手放すことも難しいから、やっぱり異物を排除せよ、ということになったり過剰に味方意識を巡らせて結果またそれが今度は他の敵意識を生んだり、ということになるんだろうなあ、と思った。

 

のろろ様、というものがもし自分の生まれた町に在って、暗い闇の中にのろろ、ろろの、と低い声が響くあの祭りを幼い頃から見てきたとしたら。のろろという恐怖を幼い頃から刷り込まれることで、恐ろしいものを異物、自分とは違うもの、人間ではないもの、として脳が処理するようになっていくように思う。自分で考えたり、意図的にカテゴライズができるようになっていった時、わからないもの、わかりたくないものを人間ではないものとするようになる。それは逃げであり自衛であるけれど、異物という袋に覆われる方にとっては一方的な暴力だ。理江子になぜのろろを見てはいけないか問われた月末の父の答えは、「みんながやり続けてきたことは守った方がいい」。劇中で最も怖い言葉だと思った。どうやったって自分を守るために生きてしまう。それを自分の意思ではなく、「みんなと同じだから正しい」と理由づけしてしまう。自分で考えることをやめてしまう。自分の行動に根拠がないことに気付けない。

 

 

だからこそ、クリーニング屋の店主が大野に放った言葉が胸に響く。

「あんたのせいよ。あんたのせいだけど、あんたちっとも悪くないじゃない」
「私はあんたが悪い人だなんて肌で感じたことないんだけど」

二度目に映画を観た時、自販機のボタンを押す宮腰の動きが、勢いをつけて人を刺すかのように見えた。これは先入観だ、と気付ける自分で在りたいと思った。