やすばすく

前ブログ http://ameblo.jp/yasubask/

ロマンチストと正義感

ANN大倉くんと高橋くん、いつも楽しく聞いています。

といいつつ最近聞くのがちょっとしんどいなあという内容も多いです。

これは個人の感じ方や趣味趣向によりけりなので、私が個人的にそうだという話なんですけども。

(あんまり楽しい話じゃない回のブログです)

 

高橋さんは様々な触れたもの感じたことに対して熱量を高く持って語られることが多くて、でも、それ自体はしんどいことでもなんでもなく、聞いていてわくわくしたりハッとさせられることも多いのです。

じゃあ私は何をしんどく感じるんだろうかなあと振り返ってみると、「〇〇は××であるべきだ」「〇〇な人は××に決まってる」的な論調の時、特にその話題の矛先が女性に向いている時。

 

直近でいえば、二週にわたって繰り広げられた「披露宴で友人からの手紙に泣く女性は心から泣いていない」っていう話題。

ざっくりと要約したら↑みたいな表現になるのですが、高橋さんに賛同するメールも含めて、披露宴に来るいろんな人たちをディスりながらお話していたんですよね。

私自身はもらい泣きしやすい性質なので、披露宴のそういう場面でも突然自分が親や友人の立場に入り込んじゃって泣いちゃうことが多いです。

だからまあ、そんな自分を否定された気がして腹が立ったりしょんぼりしたり、というところも大きいのですが、披露宴の話題以外でも全て話題の矛先と自分の要素が一致するかといったらそういうわけでもない。

自分はそうじゃないけど、という話題の時にもむかむかしたりする。

 

自分もいろんな場面で他人を心の中でディスってたりすることがあるので、高橋さんのそういう話に共感してることもある。

そもそも負の感情って共感しやすいし、普段口にはしないけど思ってること、を発言力の大きい人が話すと代弁してくれてるみたいでスカッとしたりする。

だから、披露宴の話もそうそう!ってスカッとして聞いてる人もたくさんいたのかもしれないけれど。

 

この、もやもやとした怒りの種類の根本にあるのは、「決めつけないでよ!!!」という反発心だと感じています。

「そういう人がいるよね」って思ったり、「〇〇な人は××って風に思ってるのかも」って想像することには反発しないけど、想像した人の内面を断定する形で話されると反発したくなる。

 

それが自分に当てはまるものだとなおさらだし、当てはまらないとしても、そうやって誰かに自分の考え方や感じ方までも決めつけられてしまうと、「自分もその矛先になるかもしれない」と危機を感じるのかもしれない。

 

私は主にラジオでの高橋さんしか知らないから、全部ラジオからの印象になってしまうのは申し訳ないのだけれど、

とってもロマンチストな方なんだろうなあと感じている。

社会、人間、特に女性に対しての理想がものすごく高くて、「こうあってほしい」が「こうあるべきだ」に繋がっているのかなあと想像するし、それは正義感ともつながるものがあるし。

世の中なんてくそくらえ!ということもあったとしても根本で覆せないほど人間を愛して期待しているからこそそうなるのかなあと思っている。

愛の溢れた人なんだなあ…ってこれもイメージによる決めつけにしかすぎないけれども。

想像は自由だけど決めつけは圧力っていうふうに、思う。

 

 

 

っていうところまで考えてみて気付いた、

こんなに執着して考えるのは、自分も似ている部分があるからだ!ということ。

私自身も高橋さんを「そういう考え方の人もいるんだなあ」で終わらせることができてない。

一方的に高い理想を抱いて、そこからはみ出したら眉をしかめたりする。

相手の心情まで決めつけるっていうのは配慮や想像力の豊かさというよりは自己防衛が過剰になってることのような気がする。

まさに自分がそれで…という気付きまでを含めて書きたかったので書きました。

想像力のさじ加減と、そのアウトプットというのは、めちゃめちゃに難しい問題と思う。

 

私は森羅万象を受け入れ愛する安田さんが好きで憧れているけれど、安田さんのようになれると思ってはいないけれど、目指したい姿だから今回この思考の一連でハッとさせられたことはありがたやな出来事でした。

(急に感謝をはじめる)

 

とはいえ、賛同メールばかり選ぶ制作サイドにはクエスチョンですよ!それが面白い流れになるんだとはいえ!反対意見を「お叱りのメール」みたいな、怯える対象みたいな扱いするのはどうなんだって思いますよ!!

 

高橋さん大倉さんにそういうを話するな!とも思わないし、心地よいラジオを目指せ!と押し付けたいのではないです。そもそも快不快は人によって千差万別だから、全ての人にジャストフィットなラジオなんて不可能です。

不快だったら聞かない選択をすればいいし、それでも聞いて「この言葉の奥にどういう思考があるのか…」と想像を巡らせることもできるし、

できることなら「そういう考え方の人もいるのかあ」とか「私も共感するな、なんでだろ」とか、そんな風な感受性を持っていたいなあと思ったここ二週くらいのANNでした。

(もっと広い目で見たら、発言や振る舞いの社会的影響とか、あるんだろうけれど、そこまでは思い至れなかった…)

 

 

2020.2.29追記

こんなことを書いた翌日に、大倉くんと高橋くんが3月いっぱいで終了することが発表されました。

書かなきゃよかった、とは思わないけど、苦しい。

いままでどおりにいつもどおりにあとの4回も聞きます。

ごめんね、ありがとう。