やすばすく

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小寺さんをずっと見ていたい

先日、映画「のぼる小寺さん」をようやっと観てきました。
とてもとても、とてもよかった……


工藤遥ちゃん主演ということでずっと観たかったこの映画。

原作未読で、ボルダリングに挑む高校生たちの青春ドラマかな…というイメージのみ携えて映画館に行きましたが、これが…とてもよかった…


※ここからはネタバレを含みます











※が、ネタバレを見たとしてもこの映画から得られる楽しみはあまり変わらないような気もします


それくらい、小寺さんをはじめとする登場人物たちの佇まいや表情や言葉がさりげなくて、それぞれが違う速度で進んだり足踏みしたりする姿が、決してジェットコースターのように進まず無闇にドラマチックには描かれない映画の雰囲気が、この映画の「いいなあ…」としみじみ感じたところでした。

やりたいことに向かって突き進む人もいれば、その道の途中途中で不安になる振り返る人もいる。やりたいことが見つからなくて、目の前のことに打ち込んでみようと励む人もいる。
何が正解とか、どれがよいとかそんなことは全く語られていなくて、ただそれぞれが自分の足でそれぞれのスピードで歩いてる、その始まりに小寺さんの、あまりにもまっすぐな(けれど刺々しくも荒々しくもない)姿や言葉がある。
それがとても心地よくて、でも心に触れるものがあって、「小寺さん見てると、自分も登らなきゃって思う」という四条くんの言葉がもうそのままこの映画を見ての私の感想です。

もう一人の主人公である近藤は、ひたすらに小寺さんを見ている。だけど自分から話しかけたり、働きかけたりはしない。自分のライバルであろう男子には話しかけられるのに、小寺さんのことは見ているだけ。見ていて、ずっと見ていて、小寺さんを見ながら自分の目の前にあるものとの向き合い方を変えていく。
甘酸っぱい恋愛、とすら呼べないくらいのほのかな想いが漂うだけで、それは決して押しつけがましくもなく、とてもリアルに在る感情と行動。

「恋によって…」とかそんな定義づけはいらなくて、人が人と出会い、関わることで変わっていく、その姿が淡々と描かれています。

この映画の良いところは「甘酸っぱい恋愛」要素がそうやってほのかに漂うくらいであることで、その塩梅がもうとても素晴らしい。

終盤まではずっと「見ている」行為にいろんなことが集約されていて、だからこそラストシーンの近藤に向けられる小寺さんの表情や、「見ててよ」、という近藤の言葉、背中合わせの体温…といったものがとてもとても愛おしく感じられます。

雨の中を駆け出していく二人の姿は、ずっと見てきた二人の何をも損なわない感じで、そしてそれがとても自然であることに胸がときめきました。

 

 

「どぅーの初主演映画だ!!!」とわくわくして劇場に行って、帰るときには「もうどぅーとは呼べない…工藤遥さんだ…」ってなった私。(今後も呼びますけど)

それくらい、スクリーンの向こうの小寺さんという人に魅了された映画でした。

自分の登るべきもの、登りたいものに出会ったとき、背中に手を添えていてくれるような、そんな映画でした。

上映終了の劇場が増えてきてなかなか観るのが難しいけれど、今、気持ちがしゅんとしている人にぜひ観てほしいなと思います。もっとずっと、小寺さんを見ていたい。