やすばすく

前ブログ http://ameblo.jp/yasubask/

20180703

髄膜腫、についてネットの情報だけれど調べてみたり、医療関係者の方のツイートを拝見したり、ワイドショーでのお医者さんの見解を見たりするうちに、心配が拭い切れはしないけれど少しずつ安心を感じられる部分も大きくなってきた、少しずつ、少しずつ。何より動画のやすくんの表情が、声音が、真っ直ぐ届いて包み込んでくれる。やすくん自身が一番、誰より、大変なはずなのに、なんてひとだろう。

そして、更新してくれた、ボク。

やすくんの穏やかで温かな声が聞こえてくるような文章だった。

やすくんにとって何よりも苦しいのは、自分のせいで人が傷つくこと、なのかもしれない。(誰一人それをやすくんのせい、と思わなかったとしても。)

それは、今まで見て感じてきたやすくんと少しもズレがない姿勢で、だから、また私はやすくんに対する信頼を深めるし、やすくんの言葉を信じたいし、やすくんの見ている希望を、同じ方を向いて見つめられたら、と思う。

ありがとう。伝えてくれてありがとう。大事に思ってくれてありがとう。やすくんを好きでいる限り、この世界も悪くないなって思っていられるんだと思います。(って言うととてつもないプレッシャーのようだけれど、これまた私の勝手な感覚だし、いつもいつも、感謝ばかり溢れてくるんです、やすくんのことを思うと。…これもまた、重たいけれど…)

「君の笑顔があれば僕は救われる」です!

 

祖母の四十九日法要で帰省して、とても久しぶりに家族団欒の時間を過ごしました。

一緒に暮らしていた時にはできなかった話をできたり、思いやりを持てたり、心配を直接伝えられたり、自分の知らなかった昔の父母の話、自分の子供の頃の話、いろんなことを話しました。

ここ数年は家族、身近な人たち、大切な友達、何度も病気や怪我が続いていて、いつ何が起こってもおかしくないし、それは誰の身にも起こりうることなんだなあ、ととても頻繁に思い知らされています。

自分はどう生きていくのか。大事にしたいものは、守りたいものはなにか。何について、後悔したくないのか。

すばるさんの決断、やすくんの決断、関ジャニ∞の、それぞれの決断。

彼らの決断から受け取ったのは、悲しみや不安、だけじゃないです。悲しみや不安に隠れちゃうほど今はまだ小さいけれど、勇気を、確かに、受け取っています。

どんなときも、彼らは、私にとっての、真っ直ぐ差し込む光、です。