やすばすく

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方向音痴

急に寒い日が増えて、かと思えば晴天が気持ちよくって、

秋ってこういう季節だったなあ!と久々に四季を感じる楽しさを味わっている今日この頃です。

 

Re:LIVEでツアードキュメンタリーや47の映像が特典になったり、

安田さんの写真集が発売になって、

その関連インタビューがテレビのあちこちであったり、

という、そのほとんどを、

まだ見られていない私です。

(窮鼠は5回くらい観た)

(大倉さん丸山さんが無事に復帰を果たして本当に、よかったです)

 

自分が10年以上、絶えることなく好きの火種を心にあたためてきた人たちの、

大切に想ってきた人の、

大事な大事な作品、それに込められた思いを、

受け取る勇気がなくって。

仕事が忙しくって毎日帰宅後はへろへろで体力がなくって、

かといって時間のあるお休みの日だってふらっと立ち寄れる他の趣味に没頭してみたりしていて、

私の心に余裕がない、きっとなにかがたくさんあふれてこぼれてしまうだろうと思って、

そうなることが怖くって向き合うことができずにいるのが、

現在進行形の現状で。

 

情けないなあ、と思うんです。

安田さんが今のご自身のすべてをさらけ出して与えてくれたものを、受け止めきれなくて。

(私は自分に厳しすぎる部分が時に強烈に出てきてしまうので、受け止めきれない…という人が同じようにみんな情けないっては思っていないんです。ただただ自分に対して、そう思うだけ。)

 

写真集は一度目を通して、冊子を見て涙が止まらなくなって、思い出すだけでまたとても苦しくなって。脳裏に浮かぶ病室の安田さんの笑顔に、腫瘍の影に、苦しくて。

タイムラインでいろんな方の、テレビでのインタビューに対する感想を目にすると、「あの頃つらかった」という話をきっと安田さんがされていたんだなっていうのは感じ取れたんですけれど、それを話す安田さんを自分の目で見る、声を聴く勇気がまだ出なくって。

「あの頃はつらかった、でも今は大丈夫」

もしそういわれたら、あの頃、何も考えず無邪気にはしゃいでいた自分が悲しくって、だけどそれはそれを一切表に見せなかった安田さんのプロ意識のたまものと考えれば素晴らしいことで、まじで私の好きな人は最高にかっこいいなって思うんですけど、

それでも、今、今つらいのならば祈ることくらいなら私にもできたとか、自分にできることを探してしまって、そんなのあんまり、なんの力にもならないかもしれないんだけれど。

見てないものに関してあれこれ言ったら失礼なので、これは見ることができたらまた書きたいなと思うんですけど、そういう、時期が私の今です。

 

ずっと好きなんです。安田さんのこと。

幸せでいてほしいって思うけど、それは自分の理想とか欲望とかを前提にした押しつけがましい「幸せでいてね」であって、まっさらな気持ちじゃないなとも思う。

そこまで潔癖になる必要はないかもしれない。けど、人の念力って結構すごいものがありそうだから、よくない念力飛ばしちゃってたらどうしようとも思う。

大好きな人の、苦しさや、つらかった経験を受け止められる自信も余裕もない自分がとっても情けなくって、

テレビに出るエイトさんを見て楽しさや嬉しさはたくさんあって、でもその終わりにふと、逃げてる自分にも気が付いて。

そう、めっちゃ逃げてるなって思っていて。

 

余談なんですが、私は趣味と呼べるものや好きなものが(アイドルに限らず)とても多くって、

さらにアイドルでもモーニング娘。’20さんや、ここ数か月はジャニーズWESTくんたちにもめっきりとはまっているので、周りから見たら「好きなものだらけで忙しそうでとても楽しそうだね!」っていうことも良く言われるし、自分でも思うんですけれど、

関ジャニ∞はそんな自分のたっくさんの好き!の中でも根幹にある存在で。

好きなものとの接し方はたくさんあるから、私はその中のひとつとしてこういうタイプですというだけの話なんですけれど、楽しい上澄みだけをうまく味わうスキルもなくって。(嫌な言い方に感じられたらごめんなさい。あくまで、自分ヘタだなあって思っているということだけです)

好きであればあるほどに、その存在と自分、というものを向き合わせたくなるし、所詮遠い関係だ、と言われたとしても大切でかけがえなくて生活にも影響を及ぼす存在だからそうしたくって。

 

だから、それが…ずっと心の中にもやもやと会ったんです。逃げてる自分への憤りみたいな、悲しさみたいな、そういうもの。関ジャニ∞のせいじゃなくって、安田さんのせいじゃなくって、私の不器用さのせいで。とても悔しくって、でもどうしたらいいかわからない。愛情が消えたとかそんなんじゃない。重くなったとか、そんなものでもない。向き合いたいのに向き合えない自分へのもどかしさ、その一点が棘みたいに刺さっていて。

 

なんでこんなことを書こうと思ったかというと、今日読んだ、占い師のしいたけ.さんの言葉がそんな私の心に刺さったからでした。読みながら、声をあげて泣いた。

 

たまに来る、名前が無い感情。/ しいたけ.青春の悩み相談室(ほぼ日刊イトイ新聞https://www.1101.com/shiitake_youth/2020-10-22.html

 

アイドルのことを書いてるわけじゃないし、依存って言われたら、依存とはいいたくないんだよ~、って、言いたくなったりもするかもしれないんだけれど、(しいたけ.さんはそういう一般的な意味とは違う解釈を、依存、に与えているから私は平気だった)

今私と同じような気持ちの状況にある方がいたら、もしかしたらちょっと心がすっとするかもしれないいな、と思ったので、ここでご紹介しました。

 

アイドルとファンの関係性って、まっすぐなのか屈折してるのかよくわからないや。

だからこそ面白いのかもしれない。し、こんな状態の私でも、好きでいていいんだって思いました。そしたら多分近い将来に、さりげなく見られるようになるかもしれない。

今日は感情を爆発させすぎました…今日も関ジャニ∞のみなさんが、温かくておいしいご飯を食べていますように。

健やかであれ

安田章大さん、36歳のお誕生日おめでとうございます。

生まれてきてくれたこと、生きてくれていること、今も表舞台に立ち続けてくれていること、たくさんの幸せ、たくさんの笑顔、安田さんを形作る細胞、安田さんを守る人々、本当にありがとうございます。

私は今日自分の好きな場所へ行き、おいしいものを食べ、このお祝いの日を幸せに過ごしました。一日の仕上げに窮鼠はチーズの夢をみるを観て言葉にならない気持ちを抱いていますが、帰り道にランダム再生で狩(仮)が流れてきてまた一段と頭が混乱しています。おめでとうございます。

 

最近はとてもお痩せになっているので心配にもなり、安田さんの細胞頑張れ!いや、細胞たちはもうすでにたくさん頑張っている!いつもありがとう!どうぞよろしくお願いします!頑張れ!という気持ちです。

栄養をたくさん体に入れてほしい。綺麗な空気を吸ってほしい…自然に包まれる時間を過ごしてほしい…鳥の声…木々のざわめき…

 

「空と海、間に俺!」と名乗りを上げていたブルーレンジャーの頃もその言葉がとてもよく似合う人でしたが、年々ますますそれを体現してその言葉通りの人になっているなあと感じています。

あまりにも神々しくて拝みたくなったり、神様…と崇めたくなったり、大天使であると断言したりそんなことが高頻度で起こっていますが、実のところそういった場面でのやすくんは自然信仰においての神的存在というものに近いような部分があると思っていて、それはつまり神というより自然の一部のような感覚。ご本人もそこに向かっているのかなあ、と思って、その一方で「どこまでも人間」な人間であろうとする姿たるや、この方が人間に生まれてよかったなあとしきりに思う次第です。

人間は崇められたら単純な「神様」になってしまうけど、安田さんはそれをさせないほど自然や命と融合しているなあという印象です。

 

やすくんの言葉は、少なくとも私が好きになったおおよそ12年前から、表現の方法や視点の変化はあれどひたすらに一貫していて、おそるおそるな私でも信頼ができるほどです。一見突拍子もない発言が出た時も新鮮な驚きと共に最近は「なるほど」と思うことが増えてきました。味わい深いです。そして好きな人が信頼できるというのはなんと幸せなことでしょう。

 

そしてそれらの佇まいとはまた一線を画すのが、体内に直接入ってこようとする最近の安田さんの試みの数々です。直近は9月10日のボク。を参照されたし。

この、体内に直接やすくんを植え付けられているような感覚。ぼんやりしてると体が発火するので時に取り扱い注意です。

これまで歌やダンスや様々な表現や言葉で伝えよう、現わそう、と試みてきた表現力表現欲の塊こと安田章大さんですが、去年今年での、何かを通してではなくもうダイレクトにたくさんの人の体の中に入ろう、という気概のようなもの…びしびしと感じています。

ご自身の経験を通して伝えたいことが増えた、使命というものを抱いた、どういったこともあるかもしれませんが、とかく批判も承知で誰かの心をノックする、響かせて掬い上げようとするその姿。まるで牧師さんのようですね…(最近のお気に入りたとえ)

 

安田さんの歌声を、今まで私はずっと「エレキギターのようだ」と思っていました。錦戸さんがアコギで、やすくんがエレキ。キンと通る歌声と、表現力+技術力のエフェクターで何色にも何者にもなれるところ。
だけれども、Re:LIVEを聞いたら、安田さんの歌声は今「ヴィンテージのバイオリン」のようだなとビシッと思ったわけです。

バイオリンについて…全く詳しくはありませんが…いくつもの経験がしみ込んだ味わい深さと、メインを張る声の個性。替えの利かない存在であることは以前より変わりありませんが、その色がますます濃くなった。と感じます。

 

そして、最近のやすくんの笑顔を見ると、どことなくすばるさんや亮ちゃんの面影が重なることがとても多いのです。個人的な強い思い入れがそうさせている可能性はさておき、出会いが血肉になる、とはこういうことだろうなあという風に思います。

安田さんの絆、大事な人たちとのかかわり方は、まさに相手の血を自らの体の中に流すようなものなのかもしれない、と、勝手ながら思っております。

 

あなたは最高です。でもきっとこれからますます最高になっていくのでしょう。

たっぷりのおめでとうとありがとうを込めて。

愛って

なんだろう、って考えたときに、生きている毎日のあちこちに愛は潜んでいて、大きい愛も小さい愛も、清らかな愛も黒ずんだ愛もあって、こんなにもいろんな形で愛は日常に在るのだなぁと感じました。

 

私にとっての愛は、自分ひとりでは生み出せないものです。

自分が誰かや何かと出会ったときに生まれるもの。

エネルギーにも、体を絡めとる蔦にもなるもの。

あらゆる感情を生み出す泉。

自分では、どうしようもできないもの。

 

それでも、愛を感じた時に生まれる幸福感が希望になって、生きる自分を支えてくれる、そういうもの。

 

関ジャニ∞に送る愛、関ジャニ∞から贈られる愛に、助けられ励まされています。

いつもありがとう。これからも、愛に正直に、関ジャニ∞と共に笑っていきたいと思います。

 

っていう感じです、丸ちゃ~~~ん!!!!!!!!

小寺さんをずっと見ていたい

先日、映画「のぼる小寺さん」をようやっと観てきました。
とてもとても、とてもよかった……


工藤遥ちゃん主演ということでずっと観たかったこの映画。

原作未読で、ボルダリングに挑む高校生たちの青春ドラマかな…というイメージのみ携えて映画館に行きましたが、これが…とてもよかった…


※ここからはネタバレを含みます











※が、ネタバレを見たとしてもこの映画から得られる楽しみはあまり変わらないような気もします


それくらい、小寺さんをはじめとする登場人物たちの佇まいや表情や言葉がさりげなくて、それぞれが違う速度で進んだり足踏みしたりする姿が、決してジェットコースターのように進まず無闇にドラマチックには描かれない映画の雰囲気が、この映画の「いいなあ…」としみじみ感じたところでした。

やりたいことに向かって突き進む人もいれば、その道の途中途中で不安になる振り返る人もいる。やりたいことが見つからなくて、目の前のことに打ち込んでみようと励む人もいる。
何が正解とか、どれがよいとかそんなことは全く語られていなくて、ただそれぞれが自分の足でそれぞれのスピードで歩いてる、その始まりに小寺さんの、あまりにもまっすぐな(けれど刺々しくも荒々しくもない)姿や言葉がある。
それがとても心地よくて、でも心に触れるものがあって、「小寺さん見てると、自分も登らなきゃって思う」という四条くんの言葉がもうそのままこの映画を見ての私の感想です。

もう一人の主人公である近藤は、ひたすらに小寺さんを見ている。だけど自分から話しかけたり、働きかけたりはしない。自分のライバルであろう男子には話しかけられるのに、小寺さんのことは見ているだけ。見ていて、ずっと見ていて、小寺さんを見ながら自分の目の前にあるものとの向き合い方を変えていく。
甘酸っぱい恋愛、とすら呼べないくらいのほのかな想いが漂うだけで、それは決して押しつけがましくもなく、とてもリアルに在る感情と行動。

「恋によって…」とかそんな定義づけはいらなくて、人が人と出会い、関わることで変わっていく、その姿が淡々と描かれています。

この映画の良いところは「甘酸っぱい恋愛」要素がそうやってほのかに漂うくらいであることで、その塩梅がもうとても素晴らしい。

終盤まではずっと「見ている」行為にいろんなことが集約されていて、だからこそラストシーンの近藤に向けられる小寺さんの表情や、「見ててよ」、という近藤の言葉、背中合わせの体温…といったものがとてもとても愛おしく感じられます。

雨の中を駆け出していく二人の姿は、ずっと見てきた二人の何をも損なわない感じで、そしてそれがとても自然であることに胸がときめきました。

 

 

「どぅーの初主演映画だ!!!」とわくわくして劇場に行って、帰るときには「もうどぅーとは呼べない…工藤遥さんだ…」ってなった私。(今後も呼びますけど)

それくらい、スクリーンの向こうの小寺さんという人に魅了された映画でした。

自分の登るべきもの、登りたいものに出会ったとき、背中に手を添えていてくれるような、そんな映画でした。

上映終了の劇場が増えてきてなかなか観るのが難しいけれど、今、気持ちがしゅんとしている人にぜひ観てほしいなと思います。もっとずっと、小寺さんを見ていたい。

JohnnysDREAMIsLAND0808~また会えたね~

728の日に始まりお祭り騒ぎのようにエイトさんから楽しいスケジュールをいただけて幸せいっぱいな私です。

728のアーカイブは明日のことは気にすんな精神で久々に明け方まで繰り返し見ていた…楽しかったです、とても。

そして今日の関ジャニ∞生配信ライブ…

嬉しくて泣いて、楽しくて笑って、あっという間のひとときでした。

(と思ったら30分後にNHKでまた会えたねできましたワーイ!!)

大倉さんが体調を考慮してお休みだったのはとても悔しいし、どうしたって元気魂でステージに歩いて出てきた6人の姿がフラッシュバックしますが、やっぱりあの時と同じように大倉さんの分身をかわいがるエイトさんに癒されたし、大倉さんが復帰した関ジャニ∞のステージを見られるその時を楽しみに待ちたいと思いました。

 

さて、配信ライブのいいところはメモを取りながら見られるところですね!

ライブの感想を書くのも久しぶりな気がしますが、このパッションは残しておかねば!の気持ちで書きなぐります。

 

 

オープニング

・「関ジャニ∞のわいわいきゃっきゃ」の可愛さとエネルギーが冒頭から全開

・新たなる神が登場(つい先日河童の神が生まれたばかり)(神々の遊び)

・腕が短い安田さんの可愛さとそれをそのまんま受け止めてる村上さんの家族感

・というか全体的に「ヨコヒナを両親にもちすくすく元気に育った山田(もうひとりの弟は今日は学校お休みしてます)」感がすごい

・だからポスターでひとりひとり指さしてほっこりと話す姿も「実家を出て都会で働く兄弟について話してる」みたいな感じがしてこの瞬間は何のわだかまりも感じずにいられた

・横山さんの金髪 また会えたね…真夏のヴィーナス…

・それをぎりぎりまでうちわで隠してた横山さんという事実の愛おしさ

・はしゃいでいる村上さんの愛おしさとそれを楽しそうですねと評する横山さんに微笑みが止まらない

・派手な演出も何もないのにメンバーのにっこにこ笑顔が見られてオープニングでもうめちゃくちゃ幸せってすごいことです

・安田さんの「やんなっちゃう!」世界で一番可愛いぷんすかで賞、受賞です

 

好きやねん、大阪

・丸「Hamburger!」安「うわこれHamburger!」=山田と書いて平和と読みます

・この曲すごい、ハッピー成分しか含まれていない、純度100ハッピーだ…とあらためて気づいて驚愕

  

TAKOYAKI in my heart

・村上さんの後ろで銭ゲバ八重歯踊ったり村上さん指したりしてる横山さんがなんかものすごいクールだし色気があるしなんかもうすごい

・おしゃれ番長に用意された衣服のラインナップが明らかに女性物になった2020夏(想像してしまった、あれを着る安田さんを)

・知らず知らずのうちに「保田圭!」を欲していた自分がいた2020夏

西中島南方が前より言えなくなっている横山さん 2020夏

 

もんじゃい・ビート

・カメラフレームを指でなぞりなでる丸山さんがなんかもうすっごい

・安田さんの挑発的な視線からの舌をちらっと見せてからのカメラに口づけ、あまりにも破壊力がえげつなで目を閉じればあの性の塊な感じの安田さんが浮かんでくる…性が極まると聖になるんだなって思いました これは受胎告知です

 

MC

・タディーの首根っこをつかんでいる横山さん 基本的にぬいぐるみは雑に扱いがちな横山さん それも横山さんの可愛がり方であると思うと愛おしさがすごい

 

マーメイド

・大大大好きだけど生で見たことがなかったから自分で自分を抱きしめるくらい嬉しかった マーメイドは!最高です!今後も!どうか!やっていってください!!!(叶うならばDIVEも!!!)

・安田さんと横山さんによるララライウォウウォウに感激 このパートのこの二人の声の絡まり方が大好き また会えたね…

・村上さんの身のこなしもさることながら、村上さんがメンバーを操ってるこの感じが最高にクールでジャニーズエンタテイメント!!!って感じで好キナンデス

 

Do you agree?

・安田さんの鷹のような好戦的で鋭い目つきに卒倒する私でした(いつもはピックと指がギターの指板を滑りあがる様に卒倒する私です)

関ジャニ∞のラップ担当は!山田なんです!!!という気持ちが爆発しそうになるラップ部分(すばるさんと錦戸さんと安田さんの歌うこの部分は一生忘れられないけれど)

 

Eden

・山田の歌声は似ている部分があるがゆえに個として立つというより溶け合う感じになる、そういう印象が今まではあったけど、最近はお互いがお互いの色を変えずに、だけど交じり合う部分があって、という感じがしていて、それをとても感じた今日のEdenだった。

 

Butterfly I Loved

・奇跡みたいなまた会えたねの連続をさらに超えて驚きと感動…ABメロの歌割もすんばらしくよかった、それぞれの魅力に歌詞がばちこーん!とはまった歌割になっていて、大倉さんが歌うButterfly I Lovedとはまた違った魅力、そして今度は大倉さんがこの曲のセンターに立って歌う姿を見たいと心から思いました

 

エイトレンジャー

・まさか…妖精さんたちにまた会えるなんて…(リアルタイムではお会いできなかった、届かぬ憧れだった)(このあたりからこれは夢かな?と思い始める)

・レンジャーのナレーションは安田さん、というところがもうとことんブレないところがとてつもなく横山さんからの信頼を感じるというかなんというかそういうところ、すっごい好きです

・ブルーがどんどん小尻になってゆく

・「ブルーとしても安としても威厳がない」と思っているオレンジ でも「可愛い」と思っているオレンジ(尊い事案 認定)

・ブルー「先代の身長と一緒です!!!」ちょっとサバ読んでるうえに先代呼ばわりなのがブルー感醸し出しまくってる

・ナスレンジャー 本日の名言

「俺が立ってるここがセンターや!」

(そんな端っこにおるやつ誰も見てへん)「俺が俺を見てる!」

毛筆で書いていろんなアイドルの楽屋に貼り付けて回りたい

・B.A.D団登場に懐かしさ一斉放流(ありがとうな!CD買うね!)

・ブルー「成長せえへんの?」の乙女的両手頬杖ポーズ、無自覚可愛い行動が止まらない

・ブルーちゃん身のこなしが素晴らしく軽やか さすがヒーローやで(腕は短いけど)

・茶番的展開をさらに形式を面白がった上でぐだぐだっとやってのける関ジャニ∞さんの面白さの根源がここにある

・言わなかった(言えなかった)ことにより視聴者の心に深く刻まれたキュウリの〇ューちゃん、という事実がしこたま面白い

・エイトレンジャーという世界線でもレッドとイエローがいなくなって、ERを歌うエイトレンジャーはそれでもやっぱりヒーローでその姿が胸に刺さった

 

MC

・前髪を上げるといろいろ言われるからもう頭ごととっぱらってやろうかなと思う丸山さんの思考回路、すさまじい

・働き者の山田(ドリンクを運ぶ、メットを運ぶ) ちゃんと見てるよ!!!

・一人だけトイレ付楽屋がもらえなかった安田さん、最終的に「フーッ!!」と猫のように怒り出す ちゅーるを進呈したい

・怒った末に自己を見つめなおし反省して謝る、までのスピードが尋常ならざる安田さん絶対にいい人じゃん

・トイレの村子さん

・驚き方が「ワーーー!」な丸山さん あまりにも漫画

・Butterfly I Lovedは横山さん発案で急遽セトリ入り、前日に振り入れをした、だなんて エイターも大倉さんもあまりにも想われている…

・着替えるなり「ヤスぅ~」ってしゃべりかけながら帰ってくる横山さんメッカ可愛い

・小枝師匠のモノマネ、関西外の若者にはもはや安田さんのギャグと認識されている疑惑(関ジャニ∞の好きなもの 小枝と丸のワンパック♪)(ジッタリン・ジン「プレゼント」に乗せて)

・「おしゃべりマシンガン隆平」肩書、さらに増える

・村上さんの肩にこてん、と顎を乗せるような形でタブレットをのぞき込む安田さんに全世界の庇護欲が掻き立てられる2020夏

・突然始まる横山さんのセクシータイム 大倉さんがいたら秒で「鍛えてるから見せたがる!」とつっこまれていたに違いないセクシータイム

 

いつか、また…。

・ギターを弾く、歌う、そしてメンバーとアイコンタクトをしようと視線を投げ掛ける安田さんの、それでも楽しむ余裕もある感じ、良かった…

・この曲がセトリに入っていることで、きっと過去の曲をほぼすべて目を通して選曲して準備してきてくれたんではないかな、と想像して、関ジャニ∞さんの熱い想いを感じました この曲の大倉くんパートの大倉くんの歌声大好きなので是非また披露の機会を得てほしい

 

友よ

・客席をバックにして歌う ペンライトと照明が緑色に 大倉くんに見守られているような感じがしてとてもあたたかだった

・横山さんが歌詞を間違えたところ、とっさに目を合わせて丸山さんがふんわり笑って、その雰囲気が隣の安田さんにも伝わってる感じ、あのふんわりとした感じがとてもよかった

・最近じゃ安田さんが眼鏡を外すとき、「スッピンを見る」ようなドキドキを感じるようになってきた 新たなる刺激の誕生

 

・象が始まると脳の回路を安田さんに支配される仕様の安田担

・横山さんの横顔に浮かぶ汗がまるで真珠のよう…

・「傷跡隠して微笑む君の優しさを知っているよ」この言葉が、安田さん自身に向けて発せられる言葉のように感じていたけれど、今日聞いたら、安田さんがメンバーをはじめ周りの世界に向けて放っているように感じられました

 

勝手に仕上がれ

・仲間とライブで肩組んで歌ったあの景色を思い出しながら家でひとり歌った。心がライブ会場にワープしたみたいだった

・念力でエイトを脱がすことができる…いや、透視能力かな…そんな能力が自分(達)にあっただなんて…(目を輝かせるのをやめなさい)

・ギターソロむちゃくちゃかっこいい ギターを楽しそうに弾き倒す安田さんの姿はいつだって100万ボルト

 

LIFE~目の前の向こうへ~

・安田さん側のカメラから、丸山さんにピントが合っていて、手前にはギターに視線を落としながら演奏している安田さんの横顔があって、そのツーショットがとてもよかった。さりげなくて、幻想だとしてもそれが当たり前として在る今をすごく愛おしいと思った。以前は、弦楽器隊4人が一列に並んでる時に感じていたものを、また改めて感じることができた。

・大倉さんパートを歌う安田さんが天を仰いで、その姿が大倉さんと重なった

 

あいさつ

・横山さんの「ヤスだいじょうぶ?」「ちょっと待ってな、ヤスくんがトラぶってるかも」の声がやっさしくてとろけた

・横山さんもきっと悔しさでいっぱいだろうし、でもそれより大倉さんの気持ちを大事に思っているし、そういう関ジャニ∞が大好きだと思いました

・安田さんの「今、繋がっているのは確かなこと」「明るい未来を作っていく」「いつだって生まれ変われる」シンプルだけれど、どれも安田さんの生き方、これまで見てきた安田さんの生き様に嘘のない言葉 胸に刻んだ 染みた ありがとう

・話してる横山さんが美しすぎて呆然とする(728の日に大倉さんに起こった現象)

 

Re:LIVE

・涙が落ちそうになった瞬間にタディーが大センターの分割画面になって光の速度で笑顔が零れた なんて可愛い前代未聞…

・エイターの送った言葉がそのままビジョンに流れて、私はいまだに自分が送った言葉を読み返すことができずにいるんだけれど、ひとつひとつの想いがそこにあって、エイトに伝わっていて、それを感じて安田さんの「繋がっている」という言葉がまた胸に染み渡った

 

Cool magic city

・その場にいないメンバーをTシャツにするのがジャニーズの伝統文化になりつつある(愛がすごい)

・安田さんに抱き着く伊藤兄弟・弟に対して「お主、やるな…」と戦国時代の物言いをしてしまった

・「レトロなワンピース」で裾をひらひらさせておなかをチラリズムする安田さんと横山さん、まんまとくぎ付けで画面に吸い寄せられる私

・ジュニアくんたちとわりと身長変わらない安田さん(ちっちゃいって素晴らしいんだから)

・みんなを後ろから見守る村上さんはまさに「オカン」で、「後ろでずっと見てる!」とそれに気づく安田さんの息子っぷりと併せてやっぱりなあ、血がつながっていなくても家族のような関係性、名前がつかないけれどそういうものってあるよな、としみじみ思う

・タディーの手をぎゅっと握る山田の可愛さったらない

・タディーに夢中な丸山さんの手を自分からするりとつなぐ横山さんが恋だった

・タディーをぎゅっと抱いている安田さんの可愛さったらない

 

ということで繰り返し書いていますが「また会えたね」という気持ちでいっぱいになる今日のライブでした。配信終了後30分くらいでNHKでまた会えたね、したのも含めて…

 

NHKのライブ・エールの感想も書いとく

・Re:LIFE~目の前の向こうへ~

・タディーを分身と言い切る村上さん、もうそろそろぬいたちに人格が生まれそう

・タディーを持ちながら歌うちょうどいい塩梅に少し迷いながら、タディーに頬を寄せるような形で歌う村上さん、アイドルの最適解って感じの可愛さ爆発ですごかった(途中持ち方がちょっと雑になったのも含めて村上さんらしさでとてもよかった)

・階段を下りてくる安田さん心配 お姫様抱っこして下まで運びたい

・タディー授与式

・愛おしそうに頬を寄せたり、ときに雑にぶんぶんしたり、ぬいちゃんとメンバーのふれあいがライブの新たなる楽しみに

 

短い時間だったけれどぎゅぎゅっと詰まっていて胸いっぱいです!

幸せな時間を届けてくれてありがとう。

大倉さんと、そしてメンバー皆体調良く過ごせますように。

熊さんどうもありがとう

そんな風に思える今にいることにほっこりする今日です。

好きなものができること、好きの気持ちが大きくなることは、感謝をする対象や感謝をする機会も増えるのだなあと思います。

安田さんを好きになったから私は熊さんありがとう、と手を合わせる夜を過ごしているのだなあと思うと、嬉しさもこそばゆさもあり。

また、反対のこともしかりで、好きという気持ちがあるからこそ派生する感情も多々あるのも現実で。

嫉妬もあれば湧いてくる自分勝手な考えの数々に辟易したり、怒りを爆発させたり(それは主にご本人にではなく周辺についてのことがほとんどなんだけれど)

そういうのも含めて好き、なので、そういう負の感情との付き合い方、空気の抜き方なんかを少しずつ、少しずつできるようになっていけたらいいなと思う今夜です。

 

とかく今週は衣食寝のために帰るくらいしか余裕がない日々だったのでエイトに触れられる時間が極端に少なくてずっと心もとなかったです。好きなものというのはわくわくやドキドキだけでなく、安心感、癒しという面もとても大きく与えてくれるなあというのが発見でした。

電車の中でジャムをね、久々に順再生で聞いてみたら、とてもよくって、曲もメンバーの声もアルバムの雰囲気もとてもよくって、早く関ジャニ∞の新アルバムが聞きたいなってとても思ったんですね…

ひさびさにソロ曲も入れてみてくださいよ、ユニットも聞きたいな、そんな気持ちでね…

安田さんはソロ曲でダンスナンバーをやってほしいな!という思いは以前からあったものの、今はウクレレの音が入ったお昼寝の子守歌みたいな歌を聞きたい…

横山さんはエレクトロワールドな感じの、テーマ的には現実世界と電子世界を行き来するみたいなそういうね、生声の見せ場がどかんとあるようなそういうやつ…

村上さんは私は村上さんの低音セクシーがとびきり好きなので低音しこたまのビートいっぱい感じますという雰囲気の曲…

丸山さんはジャジーなナンバーをどうしてもお願いしたいし、DO NA Iがあまりにも良すぎるのでそういった要素も含んでほしい、サタデーナイトの色がほしい…

大倉さんは今は高音を聞きたいですよね、それでもってJ-ROCK、もっといえばビジュアル系の曲調、メロディーと大倉さんの声って結構合うのではないかと思っているのでそういうのありなんじゃないかと思います、ゴリゴリではなくてそういう感じ含んだのをお願いします

 

ってね…そんな妄想の前にシングル発売決定のおしらせ、とてもとても嬉しい楽しみができた…ありがとうございます…

好きなことを楽しむために毎日を頑張ろうねって気持ちになります…

関ジャム、ひさびさのセッションも最高だったのでいい夢が見られそうです

いのちの食べ方

安田さんの投げかけをきっかけに、命をいただいて生きているということ…をじっくりと考えるようになりました。

でも自分で想像してみるだけではなんだか足りない。かといっていきなり動画だったりなんかを見る勇気がない。

というところで探してみたところ、入門編として良い本に出会いました。

森達也「いのちの食べ方」(2004,理論社

いのちの食べかた (角川文庫)

いのちの食べかた (角川文庫)

  • 作者:森 達也
  • 発売日: 2014/06/20
  • メディア: 文庫
 

人類、そして日本はどのような食肉の歴史をたどってきたのか。

牛や豚がどういう工程を経て食用肉の形となりお店に並ぶのか。

その作業を歴史的にどういった人たちが担ってきて、どんな扱いを受けてきたのか。

「思考停止」と「穢れ」という言葉をキーワードに、それらのことがとてもわかりやすくよみやすく書かれています。

しかし内容はかなり具体的かつ率直で、牛や豚がと殺場に運ばれてきてからどんなことをされるのか、がありのまま記されています。

食肉のことだけでなく、薬や日用品の安全性のための動物実験、害虫の駆除…いかに人間が”快適に”暮らすためにたくさんの命を殺めているか、そういったことにも気付かせてくれる一冊です。

また、仏教と神道が融合した日本ならではの「殺生をすることへの穢れ意識」によって見えないところへ追いやられる「命をいただいている」という実感、一方でその仕事を押し付けた部族に対する長く続く差別意識…といった観点での社会問題も語られています。

誰しもが「知ろうと思えば知れるのに知ろうとしない」感覚と「気付かず抱いている差別意識」というものもまた、命をいただいて生きていると意識するには、大事なことなんだなと思い知らされます。

とにかく、イメージはしてみたけどもう一歩踏み込んで考えてみたい、という方にはお薦めの一冊です。

 

ここからは、この本を読んでプラス安田さんのボク。での語りかけから感じた個人的な感想を書きます。

森さんの本には「僕たちがするべきことは、知ることだ」ということが繰り返し書かれていました。

安田さんも、知って想像してみようよ、と何度も呼びかけています。

私が命をいただく、特に食肉においてのそれを考えるにあたって浮かんできたのが、

・なぜ私(たち)は「見たくない」という感情を抱くのか?

・なぜ、知ることが大切なのか?

というところでした。

 

まずひとつめの、なぜ「見たくない」という感情を抱くのか?についてですが、

これは単純な言葉で言ってしまえば「怖い、気持ち悪い」「いたたまれない」いわゆる「生理的に受け付けない」ということ。また、そこまでいちいち想像してしまうと、食べることが苦しく辛くなってしまうということ。といったことが答えとして浮かびます。

だからこそ森さんの言うように、どうやって「命」が「食べ物」に変わるかの工程は目に触れないようにして、私達は感覚を麻痺させることで立ち止まることなく食べてエネルギーを燃やしてのサイクルを生きている。

もっと突き詰めると、どうして「怖い、気持ち悪い」という感情・反応が生まれるのかというところも不思議で知りたいところなんですが(自分の痛覚や人間の肉・骨のイメージを重ねるから?)今回は一旦そこは置いておきます。

ふたつめの「なぜ、知ることが大切なのか?」ということへの答えもこれと深く関わってきます。

人間は、動物の中で唯一、自分の手で殺さずに命を摂取している生物だから。

というのが一番わかりやすいのではないでしょうか。

(もちろんと殺場で働く方々や漁師の方々、実験に携わる方々は別ですが…)

森さんは本の中で以下のように書いています。

 

「世界は回っている。ずっと昔から。動物たちも循環している。ずっと昔から。でも気づいただろ?人間は回っていない。この大きな輪から外れている。人間は魚や鳥や動物を食べるけれど、もっと大きな動物に食べられることはほとんどない。死んだあとも焼いて骨にしてしまうから、虫やプランクトンに食べられることもほとんどない。」

 

命をいただいているんだ、ということを考えるべき理由は、

・生き物としては当たり前の「命を奪い生きる」という行為の核となる部分を見えない場所、職種の人に押し付けて生きている人が大多数だから

・人間は生命の循環の輪から外れ、その輪を乱しながら生きることを選んでいるから

というふたつが、今のところ私が思い至ったふたつです。

 

だからといって、「そんなの人間のエゴじゃないか」ということもあると思います。

「命をいただいていると意識し、感謝することになんの意味があるんだ、そうして何が変わるんだ、どう我々にメリットがあるんだ」という視点もあると思います。

ある種、そう思うことで罪悪感を回避できる部分だってあると思うから。

それでも、奪った命で私たちは生きています、ありがとう、と感謝をする気持ちが大切だと思うのには倫理観だけじゃない理由がきっとあって…

例えば人間が生き物の一員、自然界の一員であることを忘れないため

それを忘れていずれ自然の環から弾き出されて行き場を失い絶滅する可能性がないとは言えない、それを回避するため

みたいな…ことを言うとSFぽさすら漂っちゃいますが…

理由はきっとあります、今この段階で見えていない起こっていないことでも、脳が考えることの先には何か起こりうることへのシグナルがあると私は思っています。

 

と、まあ、こんな風に考えるきっかけとなった安田さんのボク。でした。

関ジャニ∞がほぼほぼ関係ないブログになってしまった。

でも想像したこと、知ろうとしたことで得られたものや深まった考えがたくさんありました。ありがとう!

好きな人きっかけで考えの幅、深さ、視点が広がっていくのは年齢を重ねてもとても有意義なことだと思います。

人生一生勉強だ。