やすばすく

前ブログ http://ameblo.jp/yasubask/

健やかであれ

安田章大さん、36歳のお誕生日おめでとうございます。

生まれてきてくれたこと、生きてくれていること、今も表舞台に立ち続けてくれていること、たくさんの幸せ、たくさんの笑顔、安田さんを形作る細胞、安田さんを守る人々、本当にありがとうございます。

私は今日自分の好きな場所へ行き、おいしいものを食べ、このお祝いの日を幸せに過ごしました。一日の仕上げに窮鼠はチーズの夢をみるを観て言葉にならない気持ちを抱いていますが、帰り道にランダム再生で狩(仮)が流れてきてまた一段と頭が混乱しています。おめでとうございます。

 

最近はとてもお痩せになっているので心配にもなり、安田さんの細胞頑張れ!いや、細胞たちはもうすでにたくさん頑張っている!いつもありがとう!どうぞよろしくお願いします!頑張れ!という気持ちです。

栄養をたくさん体に入れてほしい。綺麗な空気を吸ってほしい…自然に包まれる時間を過ごしてほしい…鳥の声…木々のざわめき…

 

「空と海、間に俺!」と名乗りを上げていたブルーレンジャーの頃もその言葉がとてもよく似合う人でしたが、年々ますますそれを体現してその言葉通りの人になっているなあと感じています。

あまりにも神々しくて拝みたくなったり、神様…と崇めたくなったり、大天使であると断言したりそんなことが高頻度で起こっていますが、実のところそういった場面でのやすくんは自然信仰においての神的存在というものに近いような部分があると思っていて、それはつまり神というより自然の一部のような感覚。ご本人もそこに向かっているのかなあ、と思って、その一方で「どこまでも人間」な人間であろうとする姿たるや、この方が人間に生まれてよかったなあとしきりに思う次第です。

人間は崇められたら単純な「神様」になってしまうけど、安田さんはそれをさせないほど自然や命と融合しているなあという印象です。

 

やすくんの言葉は、少なくとも私が好きになったおおよそ12年前から、表現の方法や視点の変化はあれどひたすらに一貫していて、おそるおそるな私でも信頼ができるほどです。一見突拍子もない発言が出た時も新鮮な驚きと共に最近は「なるほど」と思うことが増えてきました。味わい深いです。そして好きな人が信頼できるというのはなんと幸せなことでしょう。

 

そしてそれらの佇まいとはまた一線を画すのが、体内に直接入ってこようとする最近の安田さんの試みの数々です。直近は9月10日のボク。を参照されたし。

この、体内に直接やすくんを植え付けられているような感覚。ぼんやりしてると体が発火するので時に取り扱い注意です。

これまで歌やダンスや様々な表現や言葉で伝えよう、現わそう、と試みてきた表現力表現欲の塊こと安田章大さんですが、去年今年での、何かを通してではなくもうダイレクトにたくさんの人の体の中に入ろう、という気概のようなもの…びしびしと感じています。

ご自身の経験を通して伝えたいことが増えた、使命というものを抱いた、どういったこともあるかもしれませんが、とかく批判も承知で誰かの心をノックする、響かせて掬い上げようとするその姿。まるで牧師さんのようですね…(最近のお気に入りたとえ)

 

安田さんの歌声を、今まで私はずっと「エレキギターのようだ」と思っていました。錦戸さんがアコギで、やすくんがエレキ。キンと通る歌声と、表現力+技術力のエフェクターで何色にも何者にもなれるところ。
だけれども、Re:LIVEを聞いたら、安田さんの歌声は今「ヴィンテージのバイオリン」のようだなとビシッと思ったわけです。

バイオリンについて…全く詳しくはありませんが…いくつもの経験がしみ込んだ味わい深さと、メインを張る声の個性。替えの利かない存在であることは以前より変わりありませんが、その色がますます濃くなった。と感じます。

 

そして、最近のやすくんの笑顔を見ると、どことなくすばるさんや亮ちゃんの面影が重なることがとても多いのです。個人的な強い思い入れがそうさせている可能性はさておき、出会いが血肉になる、とはこういうことだろうなあという風に思います。

安田さんの絆、大事な人たちとのかかわり方は、まさに相手の血を自らの体の中に流すようなものなのかもしれない、と、勝手ながら思っております。

 

あなたは最高です。でもきっとこれからますます最高になっていくのでしょう。

たっぷりのおめでとうとありがとうを込めて。