やすばすく

前ブログ http://ameblo.jp/yasubask/

忘れてもらえないの歌 台詞集

舞台「忘れてもらえないの歌」もラストスパート、大阪公演が始まりましたね。

劇中で個人的に印象的だった台詞を感想つけてまとめました。

間違えて記憶してる部分もあると思うので、残りの観劇で確認できたら直します。

ひとつひとつを思い返しながら書いたら感想がめっちゃ長くなって台詞の量を上回ってしまいました…だって…めっちゃいい台詞多いんやで…

 

※この先大いにネタバレします

※11/11 台詞追加・修正しました

 

 

 

 

「生きてたら、また会いましょう。」
「こんな時にレコードを取りにくる奴は死ぬよ!」
「こんな時に酒を取りにくる奴も死にますよ。」
(良仲・滝野)

 

空襲の中、ガルボに駆けつけた良仲と滝野。
自分の命に関わる時に、レコードを持ち出して守ろうとした良仲と、ウイスキーを持ち出して後から売ろうと企む滝野。
そんな滝野に呆れる良仲と、いつも通り楽天的な笑顔を見せる滝野。
対照的なように見えてどこか似たところもある、二人の性格がよく表れているなあ、と感じる台詞です。

 


「誰かを置いてけぼりにしなきゃ、ここから抜け出せないよ。」
(コオロギ)

 

売春婦のコオロギは、バンドに加入した麻子を連れ戻そうとする仲間を止め、自分のことを一番に考えて行動しよう、と「約束」をします。
凜とした立ち姿、涼し気ながらも力のある眼差し、自然と耳を傾けてしまうスッと通る声。

仲間への愛情は静かに深く、時代に合わせて変化しながらも自分の目で見て、自分の頭で考えて生きている。
コオロギはまさに”姉御”と呼びたくなるような存在で、リーダー的な立ち位置にありながらも仲間とは対等に仲間であろうとする姿がとてもかっこいいです。
そんなコオロギの愛情と強さが伝わってくる台詞です。

 


「いいじゃないですか。心になにかしら詰まっているなら。
僕は、あの日、心が空っぽの人をたくさん見てからそう思います。
心はね、空っぽじゃ生きていけないですよ。
心が空っぽになると、誰の声も届かない。何も目に映らない。触れても気付かない。殴っても傷つかない。
それは幽霊と同じです。
人は、心に何かを詰めておかないと生きられないと気づきました。
詰めるのは怒りでも悲しみでもいいんです。

心が動くなら、空っぽよりずっとマシです。
でもどうせ心に何かを詰めるなら、絶望より希望にしときません?って話です。」
(滝野)

 

希望を抱いて加入したバンドが実は素人の寄せ集めだと知り、心の中が絶望でいっぱいだ!と憤る麻子。その態度に怒る瀬田。
そんな場面で滝野が投げかける言葉です。
語るうち、滝野の中に、空襲の後の景色がありありと蘇ってきます。
何も捉えていない視線をさまよわせながら、どこへ向かうかもわからず歩く人たち。
声を掛けても、触れても、一切の反応を見せない「心が空っぽの人」たちに、滝野は深い悲しみの表情を浮かべます。
けれど、回想から戻った滝野はあくまで笑って語ります。「絶望より希望にしときません?」と、皆に明るく提案するのです。
”つかみどころがなくて小賢しい”イメージを周りから持たれている(ように見える)滝野ですが、その心の深い深い部分には誰にも見せない、海のようなマグマのようなものを持っているのだろうな、と感じます。
(あと滝野くんはですます調でもそうでなくても語尾がなんか可愛い感じがします…。♪がつく感じ。跳ねる感じ。そういうところがまた、いろんな人に可愛がられる要素なのかなあと思う。可愛い。)

 


「アンタの笑顔嫌い!」
「ははは、慣れますよ。」
(麻子・滝野)

 

ものすごく心に沁みる滝野の話の直後、麻子が言い放つ言葉と、それを受けての滝野の言葉。
麻子がどれだけ理不尽で我儘に振舞っても、滝野は笑顔で受け止めてしまうんですよね…
「ややおモテになった経験」どころじゃなくモテたんじゃなかろうか…
でも滝野は本心を見せないから女の人もすぐ離れて他に行ってしまうんではなかろうか…
みたいなことまで想像してしまうやりとりでした。この時の滝野の笑顔がちょっと胡散臭いのも最高。

 


「参った…。みんな素敵だった。きらめいてた。」
(滝野)

 

初めてバンドの演奏が上手くいった時(Lover Come Back To Me)、滝野がメンバーに拍手と共に伝えた言葉。
この時の滝野は心の底から感動して、喜びが滲み出ているようでした。バンドのみんなも嬉しそうでとてもいい雰囲気。
滝野はことあるごとに、きちんと言葉にして人を褒めています。いつも口にするのは人の短所ではなく長所。
最初は床屋の自分を売り込むためにその力を使っていましたが、仲間と呼べる存在ができたことで、
滝野はどんどん仲間を褒めて、また周りにも仲間の良いところを伝えていきます。
これって実はものすごいことなんじゃないかと思うんですよね…
「バンドを売り込む」という意図も含んでいたにせよ、仲間を褒める時の滝野って目がキラッキラしてるんですよね、自分の展望を語る時と同じくらい。
それがきっと滝野に関わる人たちの間では当たり前のことになっていたのだと思いますけれど(だからみんなそのことにあんまり感謝していない…)
周りの人たちが滝野の言葉に知らず知らず励まされていたことって、とても多かったんじゃないかな、と思います。
個人的にあんなキラキラした表情で褒めてもらえたら生きる気力が噴火レベルで湧いてきそうです。

 


「そんな簡単に言わないでください!

戦争は、死んだほうがマシな場所でしたよ。死ぬよりマシだって思って生きていかなきゃならないのは、生きているって言えるんですか。

大体、いつまで戦争と比べなきゃいけないんですか。
僕はそんな生き方をするために、この国に戻ってきたわけじゃありません。」
(稲荷)

 

演奏ができるようになってもなお不安がる稲荷に滝野が「恥をかくくらい、戦争で死ぬよりマシだよ」と声を掛けたことで稲荷の思いが爆発します。
自分の集落だけ戦死者が出ていないのは体裁が悪い、という理由から志願して兵になり、戦争に赴く稲荷。
でも稲荷自身は恐らくとても臆病で、争いを嫌う人物だったのではないかと思います。
戦争の話になるとスイッチが入ったように稲荷が声を荒げる姿を見て、
戦争の体験に、その記憶に、どれだけ彼が苦しんできたのだろうか…ということを想像せずにはいられません。

 


「早く暮らしが楽になって、縁側でのんびり、うじうじ悩みながら生きる暮らしがしたいよ。」
「大丈夫、うまくいく。うまくいって、金を稼いで、のんびり悩もう!」
(麻子・滝野)

 

うじうじ悩めるというのもまた、生活ができている上でのことなんだなあと、ハッとさせられた台詞でした。
ただ単純に、だから今の時代はこの頃より恵まれてる、それを自覚しなければ!というのではなくて、(そういうのも大事だけれど)
この言葉が頭の片隅にあると、自分がうじうじしている時にも、それを肯定して、鼓舞することができそうに思います。
滝野さんの受け止め力!!!肯定力!!!

(※滝野さんの「のんびり」の部分がちょこちょこ変わってた気がします…「ゆっくり」だったり「のんびり」だったり「うじうじ」だったり)

 


「なりたいものになれなかったことを、戦争のせいにできてよかったね。」
ホオズキ

 

娼婦のホオズキが、戦争が無かったら…とかつての将来の夢を語る仲間たちに放つ台詞。
どこかとぼけた感じのキャラクターをもつ彼女だからこそ、こういう言葉を嫌味なく言うことができるのだと思います。
「麻子ちゃんは、今は自分が幸せになるのでいっぱいいっぱいでしょ」とか。文字にしてみるとズキーン!ってくるんですけどね。
二幕で稲荷が見る夢にも、この言葉がエフェクトしてく感じがあります。

 

 

「仲間なんかじゃないよ。向こう側にいける人間とあたしたちは違うから。」

「やめてよ!同情されてるみたいで傷つくよ!」

「正直者って残酷だよね。」

(コオロギ)

 

バンドのボーカルとなった麻子が自分たちをコーラスとして推薦し、売春婦という仕事から、引っ張り上げよう、としたことにコオロギは傷つきます。
コオロギの言う「正直者」は、仲間を見捨てて自分だけバンドに入った麻子のことを指す…と思うんですけど、
かつては仲間ではなく自分のことを最優先にする「約束」をしたコオロギの、胸の奥にしまっていた弱さ、「でもほんとは」という心の部分が出ているように感じます。
人間味を感じてコオロギさんがもっと好きになる…
(でも正直者、って自分の願望に正直、ってことだけなのかな…?なんかもっと他に意味がありそうな気もする…)

 

 

「引き船から、いくつも見たんです。人が人じゃない色と形をしているところを。」

「カモンテ、私は、いつまでもあなたを綺麗なままで残したかった。」

(瀬田)

 

進駐軍の慰問用ダンスホールへ派遣されてきた一行。クラブガゼルと名の付けられたそこは、空襲を免れたかつてのカフェガルボでした。

そこでカモンテとの再会を果たした瀬田。店の様子を見に来ないなんて薄情者だね、とカモンテに言われ、瀬田はこんな風に語ります。

クラブガゼルに来た直後、メンバーがここはカフェガルボじゃないか、と喜ぶ中で瀬田さんだけが「そんなはずない、カフェガルボは空襲で焼けたんだ」と言うのですが、それほど瀬田さんにとって空襲後の慣れ親しんだ街の変わり果てた姿は衝撃的で、受け入れがたいものだったのかなと思います。もし店を見に来て、人じゃない色と形になったカモンテを見つけてしまったら…という恐怖に耐えられなかったのかな、と。

カモンテを思慕する瀬田さんと、瀬田さんを信頼しながらも歌姫として気高くあろうとするカモンテの関係性がとても好きです。でもカモンテの左手薬指には指環があったんですよ…それでも瀬田さんにとってのカモンテは生涯を貫いての憧れなんだろうなって思って…美しくて苦しいですね…

 


「商売敵の芽は、早めに摘んでおかないとね。」
(滝野)

 

稲荷の夢の中で、床屋をやってみようかな、と口走った客の喉を剃刀で切った滝野が呟く言葉。
稲荷の中での滝野さんのイメージどんなだよ!!!と思うほど強烈な夢でしたが、
現実世界では見せない滝野の、狂気と正気の境界線上に立ってるみたいな表情がとても印象的でした。
ガルボで顔見知りになって、闇市で再会して、一緒にバンドを始めて、進駐軍で演奏する仲間になってもなお、
稲荷にとって滝野は本心の見えない、掴みどころのない人だったんだろうな…と想像します。
切ない…滝野さんことあるごとに稲荷くんのこと褒めてるのに…
そこには稲荷の、自分に自信を持ちきれない性格なんかも影響してるのかなと思います。
でもすぐにお客の喉を切るのに血が怖い…赤い…と怯えるあたり、”だけどやっぱり憎めない人”とも思っていたのかも。

ちなみに↓この時滝野さんが歌い踊る曲の歌詞です。

喉を切っておいて血に顔をしかめます。苦悩する滝野さん、あまりに妖艶。

 

『僕は短気な床屋さん』

僕は短気な床屋さん すぐにお客の喉を切る

だけどちょっと ほんのちょっと 血が苦手

嗚呼……苦手… 嗚呼……赤い… 嗚呼……

 


「夢を見ていました。」

「見ていたのはバンドの仲間たちの夢ですよ。みんなが昔見ていた未来の夢。

戦争がなかったらきっと果たしていた夢の、夢を見ていました。」
(稲荷)

 

そんな滝野の夢からでハッと目覚めたお稲荷さん。(自分の喉が切られてないか確かめていた…滝野さんパートだけ悪夢…)
スレッガー中佐から戦争の夢をみていたのではないか?と尋ねられた稲荷はこう答えます。
夢の中で稲荷は作家に、良仲はピアニストに、朝子は教師になっていました。
活動を共にする中で、そういった夢を語り合うこともあったのでしょうか…。
けれどスレッガー中佐から夢を聞かれた稲荷は、バンドでサックスを吹くことが今の夢です、と答えます。
日本語詞を任されてはいたけれど、周りからの注文も多くて、認められることも少なくて、
夢から遠ざかっていく感覚や、焦りや苛立ちなんかが膨らんでいたのかな…と想像させられる場面でした。

 


「あたしは本物の歌手じゃない。

頼りない武器だけ持たされて、戦わされる気持ちわかる!?」

「僕はそれを、満州で2年やってたよ。」

「…ごめんなさい」

「…今でも思い出すよ。出会った時の、必死な君の必死な歌。

何かから逃げるように歌ってた。

その何かは、立ち止まったらすぐに追いつかれると思わない?」

(麻子・稲荷)

 

「お金のためにやれってこと?滝野さんと同じじゃない!」

「…ずるいよ。どうして僕にばっかり言うんだよ。

良仲くんはジャズに通じているし滝野くんは頭がいい。

瀬田さんやマサルだって器用でいろんなことができる。

言いやすい?何もない僕には愚痴が言いやすい?!」

「稲荷さんは…詞が書けるじゃない。」

「褒められたこともないし、物書きに専念する度胸もない。

自分を許せる範囲で妥協した結果が今だよ。」

(麻子・稲荷)

 

「私、稲荷さんとは似たところがあると思ってたけど。
自分のことが嫌いだと、自分と似てる人も嫌いになっちゃう。
似たもの同士で慰めあえないのは、寂しいね…」
(麻子)

 

進駐軍が日本を去った後、鉄山の店で演奏を始めた東京ワンダフルフライ。その店の裏口での、麻子と稲荷のやりとり。
麻子も稲荷も自分の武器を持っているけれど、その武器に自信が持てない。
それでも、お互い相手のことは励まそうとする。
麻子が稲荷にばかり愚痴を言っていたのは、似てるから、稲荷さんならわかってくれると思ったから、と考えると、
麻子にとって稲荷は、心を許して甘えられる存在だったのかな…と感じられて胸がきゅっとなります。
恋と名付けられるまでいかない、ほのかな気持ちを抱え合った二人は、微笑ましくて切ない。

 


「知らないことは恥じゃないよ。時代の流れに乗らずにひとつのことにしがみつくってのも男らしいじゃないか。

これからも、鼻で笑われる悔しさや、置いてけぼりの寂しさに耐えながら、どうぞ自分の信じる道をバッキーンと貫いてください!」
(オニヤンマ)

 

鉄山から自分たちの演奏を評価されたオニヤンマが、R&Bを知らない良仲に放つ言葉。
みるみる自信が漲っていくオニヤンマと、無知を指摘された良仲の動揺の対比が印象的な場面。
良仲さんはジャズに詳しくて、ジャズを愛していて、プライドを持っている。
だからこそどこか周りを下に見ているところがあった。
そんな良仲さんが見るからに傷つく場面、というのは見ていてとても胸が痛かった…

(でもオニヤンマさんめっっっっっっっっちゃ好きです、辛辣なとこも含めて)

 


「俺は金が好きなんじゃない、生きることが好きなんだ

で、生きるためには金が必要だろ?」

「自分の好きな音楽ができないなら、生きる意味がない。」

「意味?空襲から逃げる時に意味を考えてた?

立ち止まったら死ぬから、ただただ走ってただろ!?

今だってあの頃とまだ大して変わってないよ。

日雇いで演奏してるうちはまだ、立ち止まったら死ぬんだよ。

俺は、みんなに立ち止まってほしい。立ち止まって、存分に音楽をしてほしいんだ。」

「君はまさにワンダフルフライだな。」

「…は?」

「ハエだよ。音楽に群がる汚いハエだ!」

「光栄だね!音楽は素晴らしい!それは君が、君たちが教えてくれたことだろう?

そのまわりをいつまでもブンブンと飛び回っていたいよ!それは君も同じだろ?」

「俺は違う。俺は…アブだ。音楽で人の心を刺そうってプライドがある!」

「賛成だ!その手伝いがしたい!」

「ハエとアブが一緒に飛んでるの、見たことあるか?」

(滝野・良仲)

 

「君のためを思ってしたことをわかってほしい。」

(滝野)

 

安心して音楽をしていくために会社を立ち上げるという滝野に反発する良仲。
良仲は別れの時まで滝野の音楽への愛を信じていなかったように感じます。出会った時の印象のまま。
もしかしたら良仲は滝野だけじゃなくて、誰のことも信じていなかったのかもしれない、とすら感じる。
音楽にしか興味がないから、対人関係においても思ったことをそのまま言えるし、あまり他人を見ていない。
良仲はピュアなんですよね、もうめちゃめちゃにピュアで、純粋な心のまま音楽を愛している。
自分の愛する音楽を穢されたり傷つけられたりしたくない。
滝野はそんな良仲を認めていたし、期待していた。そのすれ違いが、またしてもとても切ない…
必死に説得して、感情を剥き出しにして、ハッと気づいて笑顔を作る滝野が切ない…

 


「ケンカ別れした相手のその心には、あなたという人間の破片がチクリと刺さっているものです。

それは相手が持っていなかった感情で価値観です。

その破片はいつか相手の心の中に取り込まれ、その人の心を豊かにする…と考えれば、そう悪い経験でもないでしょう。

もちろん、逆もしかり…」

(記者)

 

というシーンのすぐ後、滝野を取材する記者の台詞。
滝野と良仲の人生は何度も交差して、ぶつかり合ったりすれ違ったりするけれど、
お互いがお互いの人生の中で確実に大きな破片となっていることだけは確かだ、と、思わせてくれる台詞です。

 


「作詞した稲荷を褒めてやってください!」
(滝野)

 

洗剤「マジックママ」の曲を取引先から評価されて出たのがこの言葉、っていうのがもうほんとうに滝野さん。
いつだって稲荷の詞を一番に褒めるのは滝野だし、心から稲荷の才能を信じているんですよね…

 


「酒は怖いと思ったよ。音楽も同じだ。
目の前で笑顔で踊ってる客見るとよ、指の皮剥けても弾き続けたくなっちゃうんだよ。
俺は、ミュージック中毒になった。簡単にはやめられないわ。」
(瀬田)

 

マジックママの宣伝イベントに乗り気でない瀬田さんが、バンドを辞めないでと稲荷に言われて返した言葉。
バーテンとしてアルコール中毒になる客を見てきた瀬田さんだからこその言葉。
ベースも弾けるしバーテンもできる、生きる術を持っていて人柄も良い。
そんな瀬田さんがミュージック中毒に「なった」のは、東京ワンダフルフライの、せい、なんでしょうね。
あまり胸の内を語ることのない瀬田さんの熱い部分が垣間見えてグッとくる台詞です。
瀬田さんは間違いなくこの物語のトップオブ癒し系です…瀬田さんがいるとホッとする…

 


「あの頃?そういうこと言わないでほしい。私にはまだ今だから。

私を思い出話にしないでほしい。」

「歌手でもない偽物が調子乗って歌なんて歌って落ちぶれて、ざまあみろって思ってんでしょ?」

(麻子)


「偽物のパンパンだったよ、私達。でも、私達を買ってた男たちも、そこは気にしてなかったと思うの。
戦争に負けてしょぼくれてる自分たちに股を開いてくれるってことに、お金を払ってたんだと思うんだよね。
つまり、そういう、行き場のない寂しさとか、焦りとか、もちろん肉欲とかね。そういうものの入れ物だったのよ、私たち。
だからさ、歌手として本物なのか偽物なのか悩むより、今の客の何を受け入れられるかってことを考えたらいいんじゃないかな。

今までそうやって喜ばせてきたんだもん。」

(コオロギ)

 

団地妻となったかつての売春婦仲間と、アイドル風の衣装を着てデパートの屋上で広告ソングを歌う麻子の再会。
この頃の麻子は酒浸りで、自信のない武器で戦い続ける恐怖を誤魔化していたように見えます。
そんな麻子を、コオロギは叱るでもなく、彼女がぶつけてきた言葉を受け止めた上で言葉を返す。
コオロギは、どこまでも冷静で、愛情深い。
この言葉を受け止める、時間が、猶予があったなら、麻子は歌い続けていたんだろうか…なんてことを想像してしまいます。

 


「これ以上魂を売れないよ。」

「そもそも、魂ってそんなにすぐ売り切れちゃうものなの?

売っても売っても減らないくらい、強くてデカくて、次々と湧いてくるものなんじゃないの?

俺は、商品のために演奏したくらいで、これっぽっちも魂が減ったりしないよ?」

「俺は無理だよ。擦り減るよ。」

(稲荷・滝野)

 

マジックママをレコード化する、という話を受けてバンドを辞める決断をした稲荷。
クラブガゼルでジャズに日本語詞をつけ始めた頃は「なんでも書きたいです、作詞の幅が広がります!」と目を輝かせていた稲荷が、
「僕が書きたいのはマジックママなんて詞じゃないんだよ!」と叫ぶに至ったのは、成長なのか、後退なのか…。
稲荷は詩人としての心を理解されないことに苦しみ、
また沈みゆく自分を感じて必死に足掻いていたのかな、と思うととても辛いです。
このやりとりの途中で「滝野さんの魂ってなに?」と麻子に問われ、
「音楽が好きってことだよ!…え?まだそこ疑ってんの?!」と滝野が叫ぶのもとても辛い。
滝野の気持ちの強さと稲荷の繊細な表現力は、お互いを理解し合ってこそ発揮されるものだったのでしょうね。辛い…

 


「時代のせいにしないでくれる?あたし全部、自分で決めたことだから。

あの時焼け野原にいた女が全員体売ってたわけじゃないでしょ?

でも私、それ選んだの。戦争がなくっても、体で稼いでたかもね。

楽しかったもん!偉そうにしてる男がさ、涙流して私の体まさぐるの、楽しかったもん。

誰かや時代にそうさせられたなんて思ってない。

あの時の、生きてる実感が時代の、戦争のせいだと思いたくないから。」

「最後まで、頼りない武器でした」

(麻子)

 

売春婦であったことを咎められ、仕事を降りるよう先方から言い渡される麻子。
麻子は言動も振る舞いも我儘なお姫様って感じがするけれど、戦うお姫様。弱い自分を自分で守ろうとする。王子様の到来を待たない。
売春婦、という仕事は自分を大切にしていないというイメージで見られるけれど、
麻子にとっては武器を持って戦うことこそが大事で、その武器が身体であったり英語と歌であったりした、その違いだけのように感じます。
いくらでも周りのせいに、時代のせいにできる場面で、全部自分で決めたと言い切る麻子はとてもかっこよくって、だけど傷だらけで、
稲荷が「たまには似たもの同士、慰め合いますか」と声を掛けたことにものすごく救われた…
稲荷の中に、麻子の言葉が強く残っていたんですね…
(でも再会後の二人の感じを見ていると、その後も別々の道を選んで歩いていたんだな、恋にはならなかったんだな…と思えて少し切ない)

 


「ひとりで頑張りたかったわけじゃないですけどね…」

「場所さえあれば音は鳴ります。」

(滝野)

 

ガルボを買い取り、歌声喫茶を営み始めた滝野。よく頑張った、と励ます鉄山にぽつりとこう返します。
最初は自分だけのために生きていた。でも仲間ができて、自分と、音楽と、仲間のために生きようと奮闘した。
それなのに、仲間たちからは信じてもらえず、みんな去っていってしまった。
それでもガルボを買い取り、音の鳴る場所を守ろうとする滝野は、やっぱりとても強い。
仲間への思いと、音楽への愛が、滝野の中に芽生えて育って、どうやったってなくならなかったのでしょうね。

 


「馬鹿らしくなったんです。僕がいなくても音楽は鳴る。

そんな当たり前のこともわからずいきり立ってた。」

「音楽と距離を置こうとおもったんです。」

(滝野)


「それは…やるやらないよりもっと寂しい決断ですね。」

(記者)

 

鉄山とのやりとりの後、ギターを売る決心をした滝野。
空襲に遭っても、演奏する場所を失くしても、仲間が去っていっても諦めなかった滝野が
ついに音楽を、仲間を諦めようとした場面…そんな風に見えました。
立ち止まろうとして、でも、それはこれまで走り続けてきたということで。
「生きること」が先頭にはあったのだろうけれど、同じくらい、いつからかそれ以上に、
音楽、そして仲間というのが滝野にとって大きな存在になっていたのだろうと感じます。

 


「思い出話自体は悪くねえんだよ。悲しいことに、人生は振り返る時のみが楽しみだからな。

けど、知らねえ奴と振り返ってどうする。人生唯一の楽しみを楽しむために、楽しい仲間がいるんだろうよ。

…なんだ?仲間がいないのか?…それは俺も一緒だよ。」

(泥棒屋)

 

滝野に語りかける泥棒屋さんの声に、どんどん優しさが滲んでくるのにと~ってもグッときます…
最初は冷やかしと思って敵意を向けていた泥棒屋さん、滝野さんの顔に切なさが滲むにつれ寄り添う気持ちになったのかな…

 


「僕がみんなのためになると思ってしたことは、一度も理解してもらえた試しがないんです。」

(滝野)


「じゃあ、信じるしかないね。いつだって信じることのみが救いで、結果に救いはないからね。」

(レディ・カモンテ)

 

ホームレスになったカモンテと再会した滝野。
店を守っているけれど、仲間たちは戻ってきたいのかわからない。そんな滝野にカモンテは歌を送り、滝野は零れる涙を拭う。
台詞はとても悲しいのだけれど、その光景はとても美しく感じます。
それは、滝野の心の奥底に仕舞っていた本音が溢れた場面だったからかもしれません。
安易な励ましでも引き留めでもなく、この「残酷な言葉」で諦めることをやめたのは、
カモンテの言葉の強さでもあるし、自らを奮い立たせて生きようとする滝野自身の強さでもあると感じます。

 

 

「まあ、一生懸命生きてますよ。」

(良仲)

「それはみんなそうですよ。で、何を?」

(カメラマン)

 

マサルの取材をする記者(カメラマン)に今の仕事を聞かれて、胸を張って答えられない良仲がひねり出す答え。
オニヤンマとの一件でズタズタになったであろうプライドの一片をなんとか掲げたのに、それさえ記者に一蹴されてしまう。
返す言葉が無くてマサルを責めだすのも含めて、良仲らしいし、苦しいし。
このプライドの高さこそが良仲であり、良仲の前に聳える壁でもあるように感じます。

 

 

「似てると思ったなら、それは僕があの頃の皆さんのように楽しそうに歌ったからです。

僕を見て、かつての自分が蘇ったんです。

みなさん煌めいてましたから…今の僕のように。」

マサル

 

新進気鋭のロカビリー歌手としてスターに昇りつめたマサル

いじけたように噛みついてくる良仲にこう返します。

マサルはいつでも今、この時を生きている、今に全力を尽くす人だと感じました。

スターは溢れ出ちゃっていますが(笑)決して先輩方を見下すようなことはしないマサルは心から、本当に心からワンダフルフライの面々に憧れを抱いていて、その気持ちを、輝く彼らの姿を、ずっと忘れず色褪せず心に抱いていたんだな…って思って…マサルいい子…本当にいい子…

ちゃっかりもので抜け目ない部分もありますけど、それが戦争孤児であるマサルの生きる術で、憧れに胸を高鳴らせる気持ちを失わず日々を重ねてきた彼だからこそスターになれたのでしょうね。デビューできてよかったねマサル…輝いてたよマサル

 


「俺はお前らのこと、忘れてなかったぜ。

いつも回せる仕事がないか考えてた。」

(曽根川)

 

曽根川さんは口も性格も悪いし、最終的に滝野たちを騙す人だけれど、どうしてもこの言葉を口先だけの嘘には思えなくて…
結果騙すことになったし、スタジオ代を立て替えさせる時点でその意思があったんだとは思うのだけれど、
でもこの台詞がどうにも、心からの声に聞こえてしょうがないです。
曽根川さん、良仲くんが稲荷さんの作詞曲に不満を抱いててステージ上で揉めた時、「稲荷がかわいそうじゃねえかよ!」って叫ぶんですよね。
それを見ていたら、信じたくなる…っていう思い入れのせいでそう思うのかも。
曽根川さんはなんでバンドを辞めたんだろう、って考えるんですけど、
元々自分のために人を出し抜くのを躊躇しないし、一匹狼みたいな感じもあるし、ドラムの腕前もある人だから、
ぶつかり合うばかりのバンドに嫌気がさしたのか、それともバンドをまとめきれていないリーダーを見限ったのか…どうなんだろう。
こういう考察含めて結局私も曽根川さんにまるっと騙されてる、だったらそれはそれで気持ちがいいです!あと皆に一生懸命ツッコんでくれる曽根川さんが好き!

 

 


「空襲の日、ここで会ったよね。君はレコードを守ろうとしていた。

それだけじゃない。音楽を楽しむってことを、戦争に奪われないように抵抗しているようにも見えたよ。

そんな君が、レコードを作るって楽しみを自分から奪うようなマネ、しないでよ。」

「君のこだわりは、音楽の素晴らしさの前じゃ無力なはずだ!」

(滝野)

 

レコード制作の話を断って立ち去ろうとする良仲を滝野が止める場面。
ケンカ別れした時よりもっと必死で、切実で、滝野の変化を感じる場面でした。
「みんなとレコードを作りたい」というのは滝野の想いではあるけれど、
「良仲に音楽を愛する幸せを取り戻してほしい」というのもまた心からの願いだったのだと感じます。
滝野はバンドのメンバーを信じている、彼らの音楽への愛を信じている。信じることが、確かに滝野の救いになっている。

 

 

 


「怖い。でも、今いる場所に居続けるほうがもっと怖かった。」
(麻子)

 

初めて歌った時の麻子の気持ち。麻子は自分のために戦い続けてきたけれど、
根底にあるのはこの「怖い」って気持ちなんだろうなって感じた台詞でした。
命の危機、生活の危機に対する恐怖ももちろん、とてつもない大きさだったろうし、
自分が何者であるのか、というアイデンティティの危機もきっと麻子は感じていたと思う。
足元がぐらぐらしていて怖くて不安で、それでも戦うしか生きる術がない、そんな中で彼らは生き抜いてきたんだな…と思う、その気持ちを想像させる台詞です。

 


「それを歌わなきゃいられない時の気持ちも大事にしたい。」
「滝野くん、みたいな?」
「辛い時ほど笑ってたから。君が笑うたび心配してたよ。何を押し殺して笑ってるんだろう、って。」
(麻子・稲荷)

 

「明るい歌を歌わなきゃいられないような、本当は怖くて怯える気持ち」=「滝野」っていう表現を仲間たちがしたことで、
気づいてたんだ、わかってたんだ、っていうことを知って、胸を打たれました…
みんな滝野の気持ちに気付かないで自分の気持ちばかりぶつけていた、甘えていたんだと思っていたけれど、そうじゃなかった。
もしくは、気づいていたけれど、やりきれなくて、ぶつけていたのかもしれないけれど…
それだけじゃなかった、ということが知れて、すごく、滝野が報われた…って感じる場面でした。
報われてほしいって思ってたからなおさら…思い出しただけで泣きそう…

 

 

「離れ離れになったほうが、さっさと思い出にできるよ。」
「大丈夫。なんだってセピア色で、古いジャズでもかけとけば、いい思い出だったって勘違いできるから。」
(麻子)

 

騙されたことに気付いて、5人で作った曲は幻となって。最後の別れの言葉を滝野が回想するシーン。
セピア色とジャズの中、楽しそうに大笑いしながら去ってゆく4人と、見送る滝野。
「じゃあな、滝野!」「滝野、また一緒に曲作ろうな」「滝野さん、また歌ってあげる」「滝野くん、また明日」
このワンシーンだけで、一瞬、これまでのすべてが「いい思い出」に感じられて驚いたし、怖かった。
一言じゃ到底語れない、たくさんの出来事とたくさんの感情が、ハッピーエンドに丸め込まれてしまうような気がして。
だから、滝野がそれを「忘れました」と言ったことが、いい思い出でしたって終わらせなかったことが、とても大きな意味を持つように感じました。

 


「いいんじゃないですか、忘れてもらえるなら。

一度でも光を浴びたなら、たとえ忘れられてしまっても、幸せだと思うんです。

歌を作ったんです、この店で。

でも、誰にも聞いてもらえないままの歌になりました。

僕たちの歌は、忘れてすらもらえませんでした。」

(滝野)


「いい歌じゃない!じゃあ、いつかちゃんと、忘れてあげる。」

(レディ・カモンテ)

 

「忘れてもらえない」ことの寂しさ。辛さ。苦しさ、悲しさ、悔しさ。
滝野にとって一番大切な、「仲間と作った音楽」を、忘れてすらもらえなかったこと。
解体されてまっさらになってゆくガルボの中で、一言一言、一音一音を噛みしめるように歌う滝野。
その歌を、忘れてあげる、と言ったカモンテ。
滝野は泣き崩れて、笑ったけれど、
これはひとつの終わりで、「救いのない結果」なのかもしれないけれど、
滝野の人生はここで終わりじゃない、これからも続いていく。
その先にはきっと音楽と仲間がある、かもしれないし、違う何かが待っているかもしれないけれど。
そう思わせる、そう信じたくなる、終わりだったと思います。
物語のすべてを観た後で、滝野亘という人間に、大きな希望を感じるんです。

(滝野が受けているこのインタビューが、パンフレットの渡辺貞夫さんのインタビューに繋がる感じがします。
だからなおさら、滝野は別れの後にも、きっとまた立ち上がったんだろうって思える)

 

戦前から戦後、この時代の中で描かれたからこそ、生きるってどういうことなのか、より心に迫って感じたけれど、
今の時代でも、どうやって生きていくのか、自らに問いかける波紋を、この作品は与えてくれたと思います。
この先もきっと私は怠惰にもなるし、諦めもするし、そんな毎日の中で、
滝野たちがふっと頭の中に現れて、そのたびに思い返して、自分を見つめるんだろうなって思います。

 

いい舞台だなあ…もうすぐ終わってしまうのが本当に惜しいけれど、キャストの皆様とスタッフの皆様が、最後まで怪我なくトラブルなく走り抜けられますように、ささやかながら祈っております。