朝起きて 聞いた自担の 「I love you」
これは夢かと 頬つねりけり
思わず一句詠んでしまうほど高揚した朝でした。目覚まし時計に吹き込ませたい。
関ジャニ∞TV、web内での連載、それから、延期となった公演の当選者宛にメッセージが届けられたという話も聞きました。
仕事や生活で困難な状況を迎えている人、悲しみ苦しみを味わうことになってしまった人、元気をなくしているたくさんの人たちに向けて関ジャニ∞がそれぞれに送ろう、届けようとしてくれている「元気」「楽しさ」「笑顔」は、届けられるそのコンテンツ自体ももちろん、その背景にある「励ましたい」という気持ちに胸が熱くなります。
関ジャニ∞(陣営)だって悲しみも損害も多く抱えているだろうに、自分たちの「できること」を総動員してファンの辛さを和らげようとしてくれていて、ありがとうの気持ちばかりです。
一日も早く正常と平穏を取り戻せますように、悲しい思いをした人たちが楽しい思いをできますように、と祈りながら、トイレットペーパーをちびちび使う日々です。
さて、ジャニーズウェブ内の安田章大さんの連載「ボク。」も、日々言葉や写真を届けてくれているコンテンツのひとつでありますが、最近は効果音をつけるとすればふわ~お♡みたいな感じの表現も多いですね。R指定の付きそうな。(別に直接的なことは何も書いていないので実際Rもなにもないんですけどね!!)
そのことについていろんな意見やら感想を(自分のTL内でだけなので超内海ですけど)見かけて、それぞれにいろんな感じ方をするのだな…と思ったので私もそれを書いてみようと思います。
全国100万人の安田章大研究所所員のひとりとして、安田さんのエロティックな表現について考えてみようの回!
以下、「私の見てきた安田さんの印象から考えて~」みたいな超主観的な文章ですのであしからずでお願いいたします。
①エロティックな表現・モノ・コトへの垣根が低い
一昔前(いつのことだろう…)までは下ネタやそういう表現の印象はあまり無かった安田さん。横山さんも安田さんの下ネタにはたびたび抵抗感を示していますね…
お兄ちゃん 守ってくれて ありがとう(すぐ一句詠む)
年を重ねるごとに、というか近年は加速度的に下ネタを解禁している印象があります。下ネタ、と言うのだろうか…言うのだろうな…安田さんは会話の一部が突然芸術的だったりするので線引きが難しいところです。下ネタって一体なんだろう…という新たなる議題が生まれる…
で、安田さんの中では、あらゆるモノ・コトが繋がっていて、かつ横並びになっていて、表現の上でもその垣根をひょいひょいと飛び越えていくイメージがあります。
(ご家族間でもそういった関連のビデオのやりとりが抵抗なくなされていた…というエピソードありませんでしたっけ…)
生死も性もひとつづきのもので、命というものがある限り繋がり関わり合ってゆくもので、元々安田さん的にはタブー視しているジャンルでもないのかな、という風に感じます。
だからこそそれが世間一般的な感覚だったり常識とは乖離して表出してくることがある。
且つ、ある程度「やってみてから考える」という性質もお持ちかなと思うので、投げかけてみる、ぶつけてみることの方を優先するがゆえに、反発だったり批判だったりが返ってくることも多いんだろうな…と思います。器用なのに不器用である…
②「さらけだす」行為のひとつ
で、”そういったこと”を想起させる言葉を今散りばめているのは、そういうモードであるということもさることながら(安田さんはいろんな形でスイッチ、モードというものを持っていて無意識に切り替えていると思っています)、関ジャニ∞が今、繰り返し口にしている「さらけだす」という行為の一部としてなのかな、という風に感じます。
他のメンバーはしなくても、性というジャンルが頭の中に特段特別扱いされずに並んでいる(と思われる)安田さんが、見せてくれる思考の範囲を広げると自然とそういったものは入ってくるよ、ということであり、その賛否だったり諸々含めて今、どこまでをどんな表現で出していくのかを、試行錯誤をしている最中なのかもしれない…しれない
③濃密なコミュニケーションとしての扱い
そしてこれは、自分を好きな人たちが見てくれている、ということを前提にして言葉を通して体で繋がるような、より”頭だけじゃない”コミュニケーションとしての表現かもしれない。
あくまで、あくまでですけど安田さんのしているのは「妄想力を掻き立てる」ことであり…そのことに苦手意識だったり疎外感を感じる人もいるかもしれない…けど…
例えばその文章を読むであろうあらゆる人のことを、対象を限定せず掬い上げてくれるような、そういった表現をできる人もいて、それは素晴らしい力であり、あるんだけれど、全てをそうする必要はない、というか…
そのことだけを意識する場合、安田さんの場合ですけれど、際限なく広がっているはずの表現の世界に制限がかかってしまう、気がしています。
何気ない文章のひとつも安田さんの、作品、というと硬すぎるんだけれどより芸術に近い表現のひとつ、というか…
芸術って言えば何でも許されるとは思っていないけれど、「不愉快」ばかりに目を向けてのびのびとした表現ができなくなる安田さんは見たくないっていう、この、モンペの想い…
影響力を持った存在だからこそ守らなければいけない部分、配慮しなきゃいけない部分は当然あるにせよ、そのボーダーラインを、特に「会員制ウェブサイトの個人連載ページ」の中にまでキツキツで強要したくない、という…これはやっぱりモンペの想い…でしょうか…客観的になれない…
誤解を与える表現や、一般的な言葉遣いとは違った言葉の使い方で思いを表現することの多い安田さんのこと、どうしても理解したいって思っちゃうからこういうことを書いたりするんですけれど。
直接お話したこともないし、全部憶測、見せてくれる部分からイメージした憶測なんですけれど…
うーん、だけども、安田さんは「嫌なら見るな」的なスタンスでは決してなくて、「今のボクはこんな感じやけど、どーお?あんま好きくない?そっか~…じゃあまた、ええなって思う感じのボクに出会ったら、そんときにはまた見つめてな!」みたいな感じだと思っています。
なので、無理はせずだけれども、ぜひ、一面だけで安田さんを見ないでほしい!!!そして感じ取ってほしい、奥底にある「幸せになって」の大動脈を…
一貫して、悲しみや不安を和らげるために文章を綴っていること、こうしたら喜ぶかな、という試行錯誤であること、を、どうか見逃さないでほしい…
社会的な言葉遣い(表現方法)を習得していくべきだって意見もあるだろうけれど…
全国100万人の安田担の隅っこにいる一人としてそんなことを思っています…
言葉って難しいね、だからこそいろんな表現と視点とを手に入れていきたいと私も思います。
そしていつか安田さんの通訳になりたい。(何を言っているのか)(夢見るだけは自由だよ…)